ナガサキ

カトリック浦上天主堂 1945年8月9日・原爆で破壊され1958年に再建。長崎には昔からキリスト教信者が多い。信者1万2千人のうち8500人が原爆で亡くなる-浦上五番崩れと呼んだ。広島の原爆ド-ムのように破壊された建物を被爆遺構として残す話しもあった。遺構の一部は現在「爆心地公園」に祀られている。

撮影日     2017/04/25

爆心地公園-原爆投下地点を示す碑の右側に、浦上天主堂の遺構がある。碑には、原爆死没者奉安数・平成25年8月9日現在・162083人-の文字が刻まれている。
撮影日    2017/04/25

原爆投下後の建物

爆心地付近を復元した住居表示図。各家の場所・名前がわかる。広島の平和公園にも(旧中島町表示図)同じモニュメントがある。

浦上天主堂の鐘楼-爆風でとばされ崩れ落ちている。撮影日時 2017/04/25

放射線研究者の永井隆博士は、2人の子と共に生きその生涯を終えた。茅乃さんは遺児。永井隆の著書に「この子を残して」(1948年4月)がある。 鈴木慶治 蔵書

被爆の惨状を写した写真-

被爆後の浦上天主堂-前記の「長崎 旧浦上天主堂1945-58 失われた被爆遺産」より

平和公園-平和祈念モニュメント像」

平和公園 のどがかわいてたまりませんでした-とうとうあぶらの浮いたまま飲みました