心に残る風景

2013.10.27-29 琵琶湖
10年も前になる。竹生島クル-ズ船にのって琵琶湖を旅したことがある、波静かな湖面に心惹かれた。 
「近江という、このあわあわとした国名を口ずさむだけで、もう私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。近江の国はなお雨の日は 雨のふるさとであり、粉雪の降る日は、川や湖までが粉雪のふるさとである・・・」  司馬遼太郎 「街道をゆく1」

2013.10.28  長浜の夕景

奈良・室生寺
「女人高野と少女」 2013.10

場所は安芸の宮島、厳島神社。7年前になる。対岸の宮島口からくる定期船を待つ男性の姿が印象に残っている。観光客ではない、ここを仕事場にしている人。目の前の夕暮れの景色は、この男性にとって特別なものではないだろう。しかし自分には、不思議と味わいのあるものに感じられた。

2015.8.06 広島・宮島港

船着き場の先に、ほんの少しだけ弱い光があたっている。まわりには、まだその夕日の光はのびていない・・・。船を迎える準備をするひとりの男性、本人とは関わりの無い、勝手な想像を旅人は思いうかべていた・・・。

宮島口から宮島までの定期船は、10数分の船旅である。瀬戸の海は波静かである。夕闇がせまる頃には、人の姿がシルエツトになる。
「旅情」という言葉が、ふと心にうかぶ。  2015.8.6  

親は子にどんなことを話しているのだろうか。子はまた親になにを話しているのだろうか。

宮島桟橋の建物に夕日があたり、いい雰囲気だ、と旅人の自分は勝手にそう思う。

新潟港から佐渡の両津港に向かう船上。目の前で、人と海鳥との一方通行のキャッチボ-ルが繰り広げられた。上手いものだ。人が、いや鳥の方の慣れた仕草に感服した。「やるな、おまえたち」「おれたちだっていのちがけだ」なんて声が聞こえてきそうだ。  2011.11.05

石川県能登半島。場所は千里浜(ちりがはま)。
家族連れが波打ち際で何か話している。海辺での「幸せのドラマ」を自由に想像するのは楽しい。千里浜は砂の上を大型バスが走ることが出来る。以前と比べると砂浜部分が狭くなったという。2014.8.02

厳島神社にて。潮はまだ引いてはいない。引き時を待っているのだろうか。
2015.8.6

こしをおろし鳥居を見ている若い女性が、ひとり。ただそれだけで絵になる。

広島 呉港。2015.1.12
江田島の小用港に向かおうと思う。江田島には「海軍兵学校」がおかれた。

船の上の親子-母と娘。笑顔で船の中を走り回る小さな子がいた。

江田島・小用港

島原港から熊本港へ向かう船上にて。島原半島の眉山は雲にかくれて見えない。  2014.6.16

この少女は、何を見つめているのだろう・・・海の上だけではないように思う。

宮島 厳島神社にて。朱色の柱と巫女さんの袴の色が同色。これが印象に残るのは、娘さんの雰囲気と神社の雰囲気がよくマッチしていたからだろう。 2015.1.16

長崎県 平戸 田平教会堂 重厚な煉瓦造り。自分は無宗教の人間だが、教会の持つ清澄感、厳かな感じが好きである。2015.4.12

なぜか悲しいたくさんの墓標である。どんな人々がどんな思いで生活して一生を終えたのか・・。想像の域を超えた長い迫害の歴史がある。

天草 崎津教会 2015.4.14 
「暮れやすい秋の日が、西の山の稜線に近かった印象に残っていることからすれば、時刻午後の3時であったろうか。人が家の中に閉じこもってしまう時間ではないのに、天主堂のあたりには、おとなはもちろんのこと子どもの遊ぶ姿さえなく、崎津の町は死に絶えてでもしまったかのように静かだった。天主堂のうしろはすぐに海で、外海から深く湾入しているためかまるで鏡のような水面に、十字架をいただく尖塔が影を映していた。美しい、あまりにも美しいこの風景に、単なる観光客としてやって来たのであるならば、わたしはどれほど感激し、どれほど心をのびのびさせたかもしれないと思う。しかし、遠く海外に流浪してわれとわが身を売らなければならなかった天草の同性たち-その彼女らの真の姿と声とをこの手につかもうとはるばる訪ねてきたわたしには、この美しくてしかも静かなながめは、なぜか言いようもなく悲しく感じられたのであった。」
 山崎朋子 「サンダカン八番娼館」 文春文庫 2008年1月10日 第1刷

天草 鬼池 2015.4.14 
「島原半島できかされてきた「オンノイケ」という地名のことごしさが、私のなかに勝手な想像をふくらませたにちがいない。
(ここが、鬼池か)
と思いつつ、あたりを見わたしてみたが、目の拠り所になるほどの建物も地形もなかった。背後にあるのは海だけである。むかし(といっても明治、大正だが)島原半島のこどもたちは、人買いといえば天草オンノイケから来るものと思い込んでいた。鬼は山のむこうや人知れぬ島に棲んでいるという 未開心理、もしくは童話的イメ-ジによるものであろう。鬼池の濡れ衣は、その地名の感じにもよるが、ひとつには「からゆきさん」として人買いにつれられていった天草の乙女が、この鬼池から故郷を離れ、島原半島の口之津に渡ったからであろう。口之津へゆくと、そこには上海へゆく外航洋の貨物船が待っていた。その石炭庫に押し込まれて、遠い南方の島々や、北は、シベリヤまで売られて行ったのである。・・・鬼池の波止場から、いま船で横切ってきた早崎瀬戸を、眺めてみると、もし故郷を自由にえらべるとすれば、自分は島原より天草を選ぶだろうと思った・・・司馬遼太郎
街道をゆく17・島原天草の諸道から 

天草 本渡市 天草上島と下島を結ぶ大橋からの眺め。

長崎 大浦天主堂。殉教した「二十六聖人」に捧げられた教会。殉教地の西坂に向けて1864年に建てられた。見上げるとそこには聖母マリア像。信徒発見の記念に1867年フランス人神父がパリに注文して作らせた像とのこと。 2014.8.15

「信徒発見」レリ-フ像  
「1865年の3月17日の昼すぎ、十数人の百姓が他の日本人と珍しいこの教会を見物していたが、突然、その中の中年の女がプチジャン神父のそばに近づき、小声で言った。<私はお前さまと同じ心でござります> 驚愕した神父は、やがて彼女たちが浦上村の者であることを知ったのである。「切支丹信徒、再発見の場所」として西欧にもその名が知られるようになった。」  遠藤周作 「切支丹の里」から、

大浦天主堂 
「私は教会の左側にそった坂道をのぼった。そこには人影がなかったからにすぎない。大きな楠があり、石段は少し急だったが、あたりは静寂で、さっきの喧噪が嘘のようであった。ふりかえると、そこから港と船と湾とが一望できた。私は石段に腰をおろし、そこから湾を眺めた。この大浦天主堂の左の坂道はその後、長崎に行くたびに私の欠かすことのできぬ散歩道となった。朝、早くここを歩き、夕暮れ、ここを歩き、いつもそこは静寂で誰からも邪魔されることなく、長崎湾をみることができた。・・・」 遠藤周作 「切支丹の里」 一枚の踏み絵から 

「石段をのぼりつめたあたりから見おろせる長崎湾の風景は格別うつくしい。・・・」 遠藤周作

長崎夜景

長崎朝景 2014.8.16 5.24

「風頭山の宿からは西坂の丘は右に見下ろせる。今はその丘は長崎市内になっているが、かつてはここは海に突き出た岬だったのである。1596年、慶長元年に秀吉は突如、京都、大坂にいる宣教師と信者との処刑命令を出した。・・・1597年、京都の辻で左の耳を少し切り取られた後、後手にしばられ、荷車に乗せられて京都、伏見、大坂と引き回された。12.3歳の少年、3人がまじっていた。・・2月4日、彼等は彼杵に渡り、時津に上陸した後、浦上の癩病院に入れられた。そして翌、5日に、この西坂の刑場に連れて行かれたのである。・・・はじめて、この西坂の丘にのぼった時はちょうど黒い雨雲がちぎれちぎれに、向こうの湾に流れている夕暮れだった。・・・・」 遠藤周作

「長崎の西坂の丘の上に、キリシタン二十六殉教者の像を作ってから6年になる。あじさいの咲く頃になると長崎の丘が眼に浮かんで来る。西坂の丘から街と海を見下ろすと、長崎は穏やかに平和に落ち着いて見えた。三百年も前からこの長崎では、キリシタン迫害で何万人という人が殺され、二十年前には原爆が落とされて恐るべき数の人が死に傷ついた。そんなことをとっくに忘れてしまったように、長崎は、街も人も、おっとりと静かだ。これは長崎の風土の大きな力ででもあるのだろうか。人為的な如何なる残虐も、この山と海の調和から出来た長崎の人柄を乱すことは出来ないだろう。過去の悲しみを海霧のヴェ-ルに包んで、気だるい程の静かな街。私はこの街に、郷愁を覚える。」    舟越保武 全随筆集 「巨岩と花びら」 彫刻の顔  婦人之友 1968.8

「何故あんな夢を見るのだろうか。長崎は雨が多いせいかしっとりした町なのだが、私の夢に出てくる長崎は、埃っぽく荒廃したような町になっている。「二十六聖人像」を探しまわって、どうしても見つからない夢を見る。この同じ夢を何べんも見た。「二十六聖人の彫刻があるのはどこでしょうか」と人に訊ねても「さあ、知りません」といわれる。そんな筈はない、と私はあちこち探しまわって、狐につつまれたような気持ちになってしまう。「二十六聖人の記念像はどこでしょうか、私が作った彫刻なのですが」と会う人ごとに訪ねるのだが「さあ、聞いたことがないね」と乾いた返事がかえってくる。・・・私は光の薄れた黄昏のような町を胸さわぎを押さえながら右往左往する。・・・私の作った二十六体の聖人像はどこに消えたのか。またあちこち探しまわって、くたびれ果てて眼がさめる。眼がさめるとぐっしょり汗をかいている。二十六聖人像の制作を終えてもう十五年になるが、その間に、この夢を何べんも見た。・・・」舟越保武 全随筆集 「巨岩と花びら」 夢の中の長崎 毎日新聞 1978年2月2日

アントニオ 長崎生まれ 13歳  ルドビコ茨木 尾張生まれ 12歳
「(肥前唐津の城主寺沢志摩守広高の弟寺沢八三郎)は、ルドビコ茨木をさし招いた。役人にうながされた少年が、八三郎の前に膝をそろえた。
八三郎はルドビコ茨木の幼い眼をみつめながら、「どうじゃ、命は惜しくないか。もし私に仕える気があるなら、命はたすけてやるが・・・」と言った。少年は八三郎の顔を無言で見上げている。垢によごれきってはいたが、目鼻立ちのととのった利発そうな顔立ちをした少年であった。・・・少年の口もとに、かすかな笑みがうかんだ。八三郎は、そのあどけない眼の輝きにこの幼い者を救える喜びを感じた。しかし、その口から流れ出た言葉は、かれの期待に反したものだった。「お役人様、私はこの世に未練はございませぬ。パライソ(天国)に参るために喜んで死をえらんだのでございます。私には、デウス様を捨てるなどという気は毛頭もございませぬ」 ルドビコ茨木は澄み切った声で答えると、小さな頭をさげて囚人のより固まっている所にもどっていった。・・」
26人の切支丹囚人の処刑は、海外のカトリック信者たちに大きな反響をよび、その後文久3年、ロ-マ教皇によつて磔刑者全員が聖人の位に列せられその殉教を記念した多くの教会が各地に設立された。長崎では、その処刑地が切支丹信者の聖地として崇拝されていたが、秀吉後、家康によって切支丹弾圧はさらに過激となり、・・処刑場としての痕跡は消滅した。当時の処刑目撃者ののこした文献によって、その処刑地が長崎市の西坂であることがわずかに推定できるだけである。」  吉村 昭 「磔(はりつけ)」 文春文庫 1987年4月 第1刷

長崎平和記念公園  2017.5.25

浦上天主堂

聖ヨハネ像 被爆した像

爆心地 

佐賀県 「有田ポ-セリンパ-ク」にて。天井の彫刻が印象的。1993年の誕生。ポ-セリンは英語で磁器、パ-クは公園。2015.4.12

長崎県平戸の生月島。「塩俵の断崖」柱状節理。生月島では多くの島民が隠れキリシタンとなり密かに先祖から受け継いだ信仰を維持したという。
2015.4.12

鳴門大橋 2014.9.29

鳴門の渦潮を見る船に手をふる「つり人」

鳴門の海 朝景 こんな風景の時には人はいない方がいい。ひとりじめの景色も悪くない。

徳島県鳴門市 大塚国際美術館 2014.9.28

陶板画の複製画は衝撃的である。これが複製画とはとても思えなかった。なんとうれしいことに記念撮影は自由。三脚、フラッシュは禁止。

システィナ礼拝堂・天井画「天地創造」は盛期ルネサンスを代表する芸術作品である。33歳のミケランジェロがロ-マ教皇ユリウス2世に呼び出され命じられたのは、本業の彫刻でなく絵画で礼拝堂の天井画を描くことであった。ミケランジェロは、1508年から1512年の4年の歳月をかけ、300人におよぶ人物像か登場する天井画をたった1人で描いた。この超人的な偉業で「神のような男」と称された。偉大なフレスコ画は1512年10月に完成。

大塚国際美術館は礼拝堂を忠実に再現しており、見る者を現地の礼拝堂にいるかの感にさせてくれる。

「最後の審判」・中央部分 天井画を描いた24年後、「最後の審判」を描くためにシスティナ礼拝堂に戻ってきた。

五箇山「きりこ踊り」・ひとり踊り 2015.2.15

白川郷 2015.2.14 人気の展望所はご覧の通りの人、人、人。前に進めたのはしばらく経ってから。その時間が心に残る時間となったか????

前に進めて見た景色がこれ-どうです。待った甲斐が在りましたか。雪化粧された合掌村もあじわい深いですね。

白川郷 夜のライトアップで思いがけない人物のシルエットがうかびあがりました。

五箇山

五箇山 風景を楽しむには五箇山。白川郷に比べ小さい風景です。女性の笑顔がいい。

岩手県 北上市 「みちのく伝統芸能祭り」鹿踊り 小さな後継者 2012.8.5

みちのく伝統芸能祭りから 「座敷田植え踊り」をおどる少女

秋田県横手市 かまくらの行事  2011.2.14

北海道 旭山動物園 動物たちと人間とのふれあいが見られる動物園。たしかです。ここでは動物が主役です。2015.3.2

千葉県 房総の海 富津 自然はこんな恐ろしい様相を私達に見せることがある。2016.11.24

千葉 房総 阿波勝浦の早朝 2015.11.25

千葉房総  鋸山からの夕景

東大寺二月堂・裏参道 2008.11.17
奈良にくると、東大寺の裏を通り二月堂に向かうこの裏参道を歩く。

奈良興福寺 南円堂

東大寺 二月堂 裏参道近く 親子が歩いている。ふたりの横の間の取り方がおもしろいかった。

奈良公園 飛火野 2015.2.22

奈良公園  2015.12.22

東大寺 2018.1.27 外国からの訪問者が多くなり、地元の人との自然な交流?も見られる。

鹿が公園の中にいて、ごくふつうにふれあえることが、異国からの人には新鮮な驚きになっているのだろうか。

東大寺 南大門 吽形像

興福寺 五重塔

二月堂 修二会の時は 大松明がこの階段をのぼつていく。

奈良県庁東側 大和の風情を感じ取れる「白壁のある」静謐な景観に出会える・・・。写真家、入江泰吉氏のご自宅は手前左側の横道をゆく。
しばらく歩き、つきあたって左に折れる。東大寺戒壇院が正面に見えてくる。その手前左側が入江先生の旧宅である。

東大寺西側 2009.3.6 

2009.3.6 東大寺戒壇院

2019.9.3 入江泰吉氏 旧宅 現在は記念館 

京都 嵐山渡月橋  嵯峨野の竹林 2012.7.17

京都・時代祭り 2012.10.22

祇園祭り  山鉾巡行 2012.7.17

山鉾巡行前日・四条河原 2012.7.16

飛行機にのるのが苦手、正直こわい。数少ない機上体験で撮ったもの。佐賀空港行き。2017.4.24

いつもこんな景色が「安全快適」な状態で見られたら、雲の上はきっと「最上の幸せ空間」間違いなしですね。日本アルプスの山々。南かな。

徳島空港へ。機上から見えた景色。 

能登空港へ 2017.9.28

諫早から島原半島に入って目にした漁村の風景。入江にひしめくように家が建ち並んでいる。かつて、島原半島が非常に貧しい土地柄であり「からゆきさん」の悲話や「島原の乱・一揆」の壮絶な戦いの歴史があった。この景色に出会い、なぜか心の和む思いがした。「ああ、今、ここでは人々の変わらない」日常の生活が営まれている・・・。 2017.4.25

「日常の生活」が、突然の大災害などでこわれされてしまったことを阪神淡路、東北、熊本の大地震、福島の原発事故、予想もしない気候変動による被害などで私達は知っている。それで写真のような平和な光景に出会うと、幸せな気持ちになるのである。

写真は福島県岩沼 仙台空港周辺 名取市の震災後の風景である。こうした負の風景を「心に残る風景」とよばなくてはならないのは実に悲しい。
仙台空港東側 2012.3.12

名取市閖上小学校 2012.7.8 モニュメントの像はどれも恐怖と悲しみの表情だ。

名取市閖上 2012.7.8

石川県 通称「軍艦島」 歩いて島近くに行こうとしている人たちの姿がある。2015.6.14

小さな子を連れて歩くには、足場が悪い。気をつけてと心の中で言ってみる。声には出さない。

石川 能登 珠洲の海岸 2017.9.29

能登 輪島市 朝市会場と、少し脇道を入るとこんな景色に出会える 

御陣城太鼓・石川県輪島市名舟町に、天正年間から伝わる和太鼓による伝統芸能。無形文化財。2019.1.15東京ド-ム「ふるさと祭りで披露されました。力強い、雄渾なバチ捌きには魅了されました。できれば日本海をバックに踊られたら最高なのですが。室内で照明をあてられた姿もなかなかのものでした。

能登 輪島 キリコ会館 2019.7.6

能登 宇出津 あばれキリコ 2019.7.6

長崎 平戸 生月島の大橋 橋の果たした役割は実に大きい。孤島であるという不安、恐怖からの解放になる。架橋が結果として絶景になった。
2015.4.12

北海道 知床クル-ズ船から 2018.6.16  2022年、大きな海難事故がこの海域で、ありました。合掌です。

佐世保 九十九島観光船  2017.4

岩手県の田野畑で-震災後の海辺を歩く。2014.4.22

田野畑の朝やけ 

岩手県宮古市田老-万里の長城とよばれた「防潮堤」をひとり歩く人がいた・・・・ 2011.5.11

宮城県 南三陸町の海 2011.12.23 朝景

岩手県宮古市 田老 2011.5.11
震災後、防潮堤をひとり歩く人がいる。津波で破壊された「ふるさと」に、言葉にはならない、痛切な思いがあるにちがいない。

宮城県気仙沼 鹿折  2012.3.11 1年経ってもまだ「陸に上がった船」を見ることになった・・・・。

岩手県山田 2011.5.11

大船渡市 希望の火 2012.5.13 

宮城蔵王 樹氷祭り 2013.3.1 樹氷の家のランプの明かりが心地よい。。

ピュアな表情が自然に出る少女時代は貴重だ。雪と無心に遊ぶ姿が印象的だった。

山形蔵王 2013.3.2

山形 銀山温泉 2019.2.9

奈良 長谷寺 2017.11.20

奈良 法隆寺 2017.11.20

法隆寺 2017.11.20

法隆寺 2008.11.16

室生寺 五重塔 2017.11.20

薬師寺東院堂  「聖観世音菩薩立像」  堂内は禁撮影。堂外から望遠で。2017.11.21
奈良や京都の寺社をまわると、素晴らしい仏像に出会える。許可なくカメラをむけることができない。心のカメラでとり心に記憶するしかない。
それでも撮りたくて仕方のない仏像が目の前にある。この観音さまとの出会い50年も前になる。 

飛鳥の里  2017.11.21

飛鳥寺周辺

「首塚」

日本最古の仏像 飛鳥大仏 撮影可能

広島 原爆ド-ム 2015.1.11
「心に残る風景」というよりも、すべての人が心に刻み込んで、終生「忘れてはならない風景」である。