映画紀行Ⅲ

邦画  
鈴木-
1950-60年代に見た時代劇が自分の映画を見る根っこになっている。子どもの頃に見た映画は特別強い印象が残るものだ。町中にあった映画館によく祖父に連れられて行った。駅前に2館、主として東映系・大映系の映画が封切られて いた。暗闇のなか、正面の大きな白いスクリ-ンに映るスタ-の動きに心がおどった。日常を離れた、仮想の「異空間」に身を置ける不思議な快感。60年以上前のことでも、鮮烈に振り返ることが出来る。 東映系の封切り作品はなんといっても、「清水の次郎長」シリ-ズの時代物。片岡千恵蔵の扮する「東海道一の大親分・次郎長」が子ども心にも格好良かった。 富士山をバックに次郎長一家が、三度笠をかぶり並んで歩く姿は鮮烈だった。今も目にやきついている。次郎長シリ-ズは何本見ただろう。 市川右太衛門(北大路欣也さんの御父上)の吉良の仁吉役も格好良かった。「任侠東海道」1958年・というタイトルだったかな。 「遠州森の石松」・1958年・錦ちゃん・中村(萬屋)錦之助(1932-1997)の 「森の石松」が惨殺される場面は、壮絶で怖かった。

 

2020.8.16 CATV・時代劇専門チャンネルで60数年ぶりに見ることができた。中村(萬屋)錦之助の扮する「森の石松」の壮絶場面を見た。タイトルは「任侠清水港」1957年の制作。6.7歳時に映画から受けた恐怖、おどろおどろしさは、だいぶ薄れて見れたがやっぱり衝撃的だった。なますのように人が切られるという残虐さ 。今思えば子どもの見る映画の場面ではなかったと思う。大映系ではラブシ-ンの入った現代劇を祖父と一緒に何も分からず見ていた。 10歳前後であった。それ以前の7.8歳の思い出としては、実家の近くにMさんというお宅があって、旅興業の劇団がよく来ていた。俄に臨時の舞台を広場に設置し芝居を見せてくれた。舞台上で演じられる-どんな演目であったかは忘れてしまったが-役者さんの動きに映画とはまた違った不思議な感じを受けた。時代モノが多く、扮装する前後でひとりの人間が別人格のようになる、それがとても興味津々だった。その頃から「想像的なもの、日常からはなれたもの、夢見るようなもの」-に興味を感じはじめていたのかもしれない。

内田吐夢監督・戦後復帰第1作 「血槍富士」 
片岡千恵蔵 (1903-1983) 1955年2月27日に公開。東映制作。当然ながら映画館でリアルタイムで見ることは出来なかった。最近BSで見た。 次郎長とは全く異なる役柄の千恵蔵御大を見た。主人の仇を討つべく、大勢の武士にたったひとり長槍を振り回して不器用に立ち向かう中間の姿には、リアル感があり悲愴感にも満ちていた。封建社会の身分制度、理不尽さに対する抵抗、必死な主人公の生き方、反抗には迫力があった。戦後映画史の中に残る名作のひとつかと思う。内田監督には錦之助主演の「宮本武蔵」5部作・(1961-65)もあり、千恵蔵御大は、武蔵を見守る家老役で出演。錦之助の武蔵・(武蔵を演じた役者は他にも多い)は、若々しく魅力にあふれていた。

「血槍富士」-中間役を演じる片岡千恵蔵

「任侠清水港」1957年-64年前の作品 次郎長一家-石松の仇討ち

松田定次監督「任侠東海道」1958年 東映オ-ルスタ-次郎長物の第2作目
 吉良の仁吉を演じる市川右太衛門 (1907-1999)  

鈴木-1950年代の東映任侠路線は1960年代後半になると、「日本侠客伝」や「昭和残侠伝」へと時代設定を変え一見してその流れを継承したかに思えたが、実際のところ,高倉健(1931-2014)の扮する花田秀次郎は、片岡千恵蔵の清水次郎長とは異質の存在であった。次郎長一家の親分子分組織のトップ次郎長は、60年代になると組織にくみしないアウトロ-秀次郎としてスクリ-ンに登場する。社会の世相を反映してか、学生運動の中で大いにもてはやされ深夜興業の映画館では超満員の観客から熱烈な喝采を浴びた。「まってました健さん」・・・。映画が終わり・・朝の巷に散っていく観客の姿は「健さんそのもの」であった。かくいう自分もそんな観客のひとりであったが・・・。 
写真の右は若山富三郎。
「高倉健の美学」(文藝春秋社・令和2年2.13発行)の中の高倉健の言葉。「男は奥歯をかみしめてこらえているということ。(昭和残侠伝の)花田秀次郎も、おれも、もう奥歯がぼろぼろなんですよ。生きるということは、そういうことだと思う。」
「日本侠客伝」の第1作は1964年、高倉33歳のこと。以後1971年の日本侠客伝・刃、まで高倉40歳まで11本が制作された。一方「昭和残侠伝」は1965年の第1作以降、1972年の昭和残侠伝・破れ傘まで9本作られる。両作品だけで20本。この他「網走番外地」は1965年から1972年まで18本が制作された。実に38本が8年間で封切られたことになる。年平均にすると侠客伝が約1.5本、残侠伝が約1本、番外地は約2本以上となる。これほどのドル箱シリ-ズであったにもかかわらず1972年を最後に続編が世に出ることはなかった。同時にデビュ-以来それまでの主演作品が年間10-13本ほどあったのが、1972年は年間で5本となり、それ以降3本から1本となっていく。東映退社は1976年高倉45歳のときであった。

「昭和残侠伝」

「日本侠客伝」第1作、2021.2.6 WOWWOWで放映された。このシリ-ズは高倉健主演で続いていくが、当初、岡田茂所長の目論見では、任侠映画は錦之助と鶴田浩二の二本柱でいくつもりてあったという。しかし諸々の事情で錦之助が主演を辞退。急遽、高倉にお鉢が回ってきたという。錦之助は友情出演。「日本侠客伝」第1作の公開は1964年。東映の首脳陣は時代劇(次郎長)任侠路線からの撤退も考えていたという。

「日本侠客伝第9作・花と竜」共演者は星由里子(東宝) 二谷英明(日活) -東宝では絶対に見ることの出来ない星由里子の役どころ-荒くれ男に混じった気丈な役どころ。強く印象に残る作品である。藤(富司)純子は女彫り師で出ていて、いわば恋敵である。火野葦平原作。

「網走番外地」

「宮本武蔵」5作目 巌流島の決闘 1965年 佐々木小次郎が高倉健


時代劇の趨勢

鈴木-ここ数年、地上波のテレビから「時代劇」番組が少なくなり、制作本数自体も少なくなった。「時代劇ファン」としては寂しい限りである。そうした中、、CSやBSでは時代劇が元気であるという。個人的にもうれしいことだ。

-2020.0.1.1の新聞記事からの仲代達矢(1932- )さんの言葉-
「ずいぶん長い間役者をやつてきて、時代劇もたくさんやりました。初めて出たときには、歩き方が違う、刀の差し方が違う、と言われたこともあった。役者は扮するもの。時代劇というのはそういう意味では、いちばん扮するという形をとつているんでしょうね。私はチャンバラが下手だったんです。昔、同世代の(萬屋)錦之介に「どうしたらいいんだい?」と聞いたことがあります。そうしたら「出てくるやつァ、斬りゃいいんだよ」って。(笑) 「米という字を書いて斬れば簡単だよ」とも言うんですが、そう簡単じゃなかったなあ。わりと時代劇が幸せな時代に育ちました。黒沢組では、1ヶ月リハ-サルをやって、半年かかつて1本作る。そういうことで日本の時代劇が世界に認められた。時代劇って時間もお金も才能も、人数もかかる。ますます時代劇は作りにくくなるかもしれないけど、外国人のファンの方も多くいる。次世代の俳優なり、演劇好き、映画好きにには頑張ってほしいと思うし、大事にしてほしいですね。・・・この作品(帰郷)では、老いたヤクザが反省すべき思いを抱きながら故郷へ帰る、という話です。晩年というところに共感した。「老境」がどういうものなの、自分と重ね合わせて表情や気持ちを大事にやりました。演じたというか、現在の私の感じが出たかな。チャンバラの方も長い間やつてきたけど、そろそろこれが最後だと思っています。」
鈴木-「帰郷」は重厚で人生の奥深さを感じさせるドラマだ。仲代さんの言葉で、自分と重ね合わせて役の気持ち、表情を大事に考えた・・・と言うところが印象的だ。役は演じるというが、役者本人の人生との向き合い方、考え方、実際どう生きているかということが、役に自ずと出るということなのか。役がどう自分の心の琴線にふれてくるか-高倉健さんはそのふれかたを「感じる」と表現する。感じる「本」に出会えるまでが自分には大変なことだという。
作品「帰郷」について
作家・藤沢周平の短編時代小説『帰郷』のドラマ化。「北の国から」シリーズの杉田成道監督が映像化した作品。親分の罪を被って故郷を離れた渡世人が30年振りに帰郷する。懐かしい故郷はどうなっているのか。帰ってみようと思い付き、辿り着いた故郷には渡世人の新たな苦悩が待っていた。山奥の民家で病床に伏していた老渡世人宇之吉は、ある朝民家の周りの美しい山の風景を見て自分の故郷信州・木曽福島を思い出す。宇之吉は30年前に、世話になった親分の罪を被って故郷を離れていた。最近では肺病も病み、自分の命もあまり長くないことを悟っている。おくめ(実は主人公の娘)を演じた常盤貴子、若いころ主人公が色恋におちて過ちをおかす相手の女を演じた、田中美里が非常に印象的だった。



「テレビドラマ」と健さん

鈴木-
テレビドラマ「チロルの挽歌」1992年を最近BSで見る機会があった。2020.12。共演は大原麗子(1946-2009)。当時は46歳 高倉健さんは61歳である。
生涯「映画俳優」であつた健さんは、テレビドラマに出演することが極めて少なかった。(5作品) 確かに健さんの存在感は家庭の小さなTV画面では表しにくい面があつたのではないかと思う。そんな中で「チロルの挽歌」は異色のドラマである。「仕事一筋で女房にかけ落ちされた無骨な役」は、この作品以前・以後にも健さんの役柄にはなかった筈だ。それだけに興味深い。かけ落ちした女房役が大原麗子でその相手が杉浦直樹。役柄の点でも共演者の配置の点でも、興味深いドラマである。山田太一脚本。舞台・ロケ地も健さんが最もよく似合う北海道でのロケ。大原麗子とは同じ北海道での「網走番外地」の5作品・(1965-1967)でも共演。「番外地」以降は倉本聰の脚本でテレビドラマ「あにき」(1977)での連続物で13話、兄と妹役で共演。テレビに出ない健さんとしては異例のことである。その6年後には再び映画「居酒屋兆治」(1983)で元恋人役での共演。そしてその9年後「チロルの挽歌」(1992)で今度は妻役での共演。高倉健の相手役として様々な女優さんが目にうかぶ。三田佳子・藤純子・倍賞千恵子・吉永小百合・星由里子・いしだあゆみ・田中裕子・・・と共に記憶に残る女優さんである。大原にとって健さんは共演者という以上に「理想とする男性」であり、尊敬する大先輩でもある。そんな個人的な大原の健さんに対する思いが、役柄をこえて切ないまでに滲み出ているドラマが「チロルの挽歌」である。大原自身、このドラマを「生涯の代表作」といい、この作品の17年後に亡くなった時、自宅寝室のDVDプレイヤ-の中にこの作品が入っていたという。見終わってもなぜか二人の(ドラマの延長上)のことや、個人的なことが気になって仕方がなかった。
以下ドラマ外のことだが、「孤独死」であったという大原の死後、健さんの故人への墓参は続いたという。(健さんと離婚した江利チエミさんも寂しい死であつた・・・)。健さんと大原との初の共演は、彼女が18歳の時でロケ場所は北海道。「網走番外地・北海篇」シリ-ズ4作目。1965年のことである。以降5.6.7.8作目とたて続けに出演。大原のデビュ-の年は前年の1964年であるから全くの新人といってもいい。共演者といえる存在の俳優ではまだない。個人的にだがこの映画は劇場で見ている。見かけはキュ-トだが気が強く、繊細さもある新人女優に好感を覚えた。健さんはそんな大原を妹のように可愛がり、大原自身もまた健さんを「兄のように尊敬して慕った」という。その思いは終生変わることがなかつた。大原個人の理想的男性像は「毅然としている人、強い人、繊細な人、寡黙な人」と自ら言い、それは健さんを指してのものであつたかもしれない。幼い頃、父の暴力で殴られ鼻骨が右側が盛り上がったといい、長じても殴られたところのカメラ写りを気にしたという。その父親の浮気が原因で8歳の時に両親は離婚。母子家庭となり生活が豊かでなかったにもかかわらずバレエ教室に通わせた母・・。異性に対しての思いが、反父親に向かうのは当然のことのように思える。一方、母に対する思いは生涯深いものがあつたという。子どもの頃苦労して育ったため、働いて母のために家を建てることが強い願いであり、後年その夢を果たす。母をその家に引き取り老後の介護に努めたという。健さんが、母に褒められたくて「俳優の仕事」に精進したことは、自著「あなたに褒められたくて」に書いている。健さんと大原、ふたりには共通の「強い母への想い」があったというべきか。
以下、ドラマのことである。このドラマは終わりがスタ-トであるように思えた。かけ落ちまでした女性が、この先どんな生き方が待っているのか。明確な答えが用意されているわけではない。ドラマの最後近くで、妻が夫と、かけ落ち相手に対して、「男って格好ばかりつけている・・・」と強く詰ナジる場面がある。自身のかけ落ちしたやましさは口に出さない。強いがどこか可愛いい。事実、なぜか偶然再会した夫の身の回りを世話する妻がいる。「私は悪くない・・・」と言い、かけ落ちしたのは、自分の思いを聞いてくれない仕事一筋の夫と、それに対してかけ落ち相手の優しさにその理由があるという、・・妻の愚痴や言い訳かと思ったが、ここから大原演じる妻のこころの思いが出る。世間体というものへ格好ばかり気にする男たちへの痛烈な揶揄ヤユである。道義的に不倫やかけ落ち-家庭を捨ててまでの-が許されないという常識に反旗を翻ヒルガエし、自分の生き方を大事にしたいという。話はここで終わればいいのだが、大原演じる妻はこうも言う。「夫もかけ落ち相手も好き・・どちらともこれからこの地で生きていきたい」と。こう言われるとこのドラマの終わりどころが見えなくなってしまう。何と勝手な・・。二者択一でない男女の在り方・・・。個人的にこのドラマが見終わった後でも気になったのはこの点であった。健さんが演じる妻に駆け落ちされた夫は仕事は出来るし、男としての魅力、周囲からの人望も高い。だが妻は家庭的には思いやりのない夫であったという。一方杉浦直樹が演じる、かけ落ち相手は優柔不断、何事も人に相談しないと事が運べない。決断も遅くどこか煮え切らない。だが優しいという。妻としてどちらかを選ぶということでは、このドラマは展開していかない。妻の自立という見方でドラマを見ることも出来るが、大原の演じる志津江が選ぶ道は、3人と生きるということである。そんなことが可能ではあるとは、とても思えないが気持ちの上ではどこか共感が持てる。家庭という枠内でこの3人の有り様を理解するのはちょつと困難かもしれない。2人の男性から大事にされたい、愛されたいということが身勝手だ言い切ることも出来る。・・・こんな女性だが大原麗子が演じた妻は魅力的だ。男を詰ったりして強いことを言ったかと思うと、ある場面ではさりげなく男に甘えたりしている。等身大の大原が志津江という妻役を演じているのではないだろうかと思えた。大原の健さんに対する私的な思いを知った上でプロデュ-サ-なり脚本家なりがキャスティングオファ-を出して、大原本人がそれに応えたということであろうか。-ふだん役柄と演じ手の役者とを重ねてドラマを見ることなど殆どないのだが、「チロルの挽歌」に関しては高倉健と大原麗子のドラマをこえた、何か切ない男女の思いを感じ取れたのはなぜだったのか。大原麗子の魅力がよく出た作品であるとひと言でいえない何か-。あえて言えばドラマをこえた、私的な大原の健さんに対する恋心に近いものが出たドラマではなかったかと思う。大原の夫役・健さんに見せる表情、仕草の切なさは特に印象的である。若い時から様々な病気で苦労し、どの作品もこれが最後かも思っていたという。-この作品以降健さんとの共演はなかった。2009年・死後残された大原の遺品の中には、「チロルの挽歌」のDVD以外にも-「高倉健の記事だけをまとめた」スクラップブックもあったという。 鈴木慶治

脚本家「山田太一」の"家族ドラマ"についての言葉-「昭和を生きて来た」-残像のフォルムから
「テレビドラマは家族を描いて、どんな残像を遺したか? 戦後の日本の家族は、それぞれの「個」の発展をなるべく邪魔しないいような小単位であることを目標とした。そのため、舅姑・小姑との同居は、戦前より衝突が露骨となり、対立を活力とするドラマにとつては、格好の素材源で沢山の作品がつくられたし、現在(1992.)もつくられている。・・・問題を持ち込んで、その問題が解決すれば「核家族」は安泰であるかのようなイメ-ジに終わる作品が、どちらかといえば多く、犯罪や「問題」を排して「エゴや「個」を見つめる作品は少なかったのではないか。」
「私がテレビドラマの世界に入ったのは昭和40年の頃も、現実の家族の内情については遠巻きにして立ち入らないという空気があったように思う。その頃の当たり番組は「七人の孫」という大家族のドラマで、祖父が家族の出来事に大きな役割を果たすものだつたが、それはおそらく現実のネガとして当たったのであり、実際には大家族は減る一方で、祖父はおろか父親さえ家族の中で影の薄い存在となっていた。となれば、次に登場すべきドラマは明らかではないか。つまり、家族の内情に立ち入った作品である。・・・家族の現実に多様多層に踏み込んだのは、映画ではなくテレビであった。テレビは、見る者を暗闇に入れて、画面に集中させることはが出来ない。見ながら電話をかけることも食事することも、煎餅をかじることも雑談、商売、宿題、風呂へ入ることもトイレに入ることも止められない。テレビだけを見つめている観客なんてほとんどファンタジィの世界である。そのようなメディアで、どうしたら「混沌に秩序を与えるまなざし」「人間の真実をさし示す透明な映像」を手に入れるかが、テレビドラマをつくる者の-それほど多くはないにせよ、私の信頼する人々の目標であつたと思う。・・・戦後のある時期まで「エゴ」が理想形として夢見た「核家族」をその後の日本人は具体的に生きて、結局のところ精神的「飢え」を体験した。その「エゴ」が、これから内発的にどのような共同性を求めて行くのか?-それがこれからの家庭の課題ではないだろうか。」

「チロルの挽歌」・大原麗子  当時46歳
北海道芦別でのロケ 1991年「再会」・1992年「旅立ち」



「居酒屋兆治」1983年 ・健さんと大原麗子

「炎のように」2011.8.3 青志社  没後2年後に発行 著者 前田忠明


「私、来世は鳥になりたいんです。それも犬鷲のように、大きくて強い鳥がいい・・・」大原麗子
読書家で、自宅の天井まで届く本棚の中には、中原中也、林芙美子、川端康成などの本や演劇関係の本や小説がぎつしりと並んでいたという。
手足の神経が麻痺して歩行困難になる「ギラン・バレ-症候群」。1975年・昭和50年、29歳で発症、以来何度か再発。生涯この病気と闘ったという。晩年は躁鬱病を患う。頻繁に深夜、先輩、知人に電話をかけてた・・という。
自分の仕事について-1984年・「男はつらいよ・寅次郎、真実一路」の会見で大原は言った。
「最近は遺作だと思ってやっている。いつ死んでもいいと。自分らしく自由に生きたい。仕事は限界のない自己闘争、心も体も自由になる。
-「炎のように」の中でも病気のことを語る大原自身の言葉がある。P.46
「この病気になつてから、ずっと薬を飲みながら仕事をしてきたの。映画もドラマもコマ-シャル撮影の間も、ずっとず-っと薬を飲んでいた。それなのに再発した。「男はつらいよ」に初めて出演(1978年・噂の寅次郎)した頃よ。また体調がおかしくなっていることに気がついたの。でも共演者の皆さんやスタッフに迷惑をかけてはいけないから、隠して隠して。ひとりで撮影所と病院を行ったり来たりした。不安はなかった。「負けてたまるか!」っていう気力だけだったわ。そう、本当に・・・・何ひとつ、つらいことなんかなかった。人は私のことを「思いやりがない」とか「優しさが足りない」とか言うけど。でもね、女優っていう生き物は皆、自己闘争だと思うの。たくさんの人に名前を覚えてもらい「人気がある」って言われるようになるには、黙って自分と闘い続けなきゃならない。そうしないと人の上には行けないんだもの」
著者・前田は言う。
-毅然と言い切った麗子の表情は、言葉とは裏腹にどこか寂しそうだった。このとき、私は初めて、麗子に孤独の影を見た。それにしても、周囲に気付かれぬよう薬を飲みながら、さらに病院に通いながら仕事をしていたとは・・・・。

山田太一「月日の残像」2016.6 新潮社発行
「・・平成21年8月に女優の大原麗子さんが亡くなった。青山葬儀所で別れの会があった。私はそれほど一緒の仕事は多くはなかったが、1年間のドラマ(チロルの挽歌)があったり、たまに電話で話すこともあり、晩年は難病をかかえてとても淋しかったようだと聞いていたので、お参りに出掛けた。すると、彼女の女優生活を10数分にまとめた映像が流されたのである。華やかに、いいところを選んで編集したビデオだった。私は見ているうちに、これは映写が終わったら拍手しようと思った。孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなとしての集まりではないか。よく生きぬきましたね、と拍手してなにが悪いだろうと思った。終わった。拍手をした。私ひとりだった。なんという非常識というように見る人もいた。平気だつた。ルナ-ルの言葉が頭にあつた。 「なぜ弔辞の時には拍手をしないのだらう」(ルナ-ル日記」岸田國士訳・第6巻)
フランスでも葬儀には拍手はしないのだから、ただ私が軽はずみだっただけなのかもしれないけれど・・・。」

1965-1970年代の大原麗子 


映画監督・小津安二郎

「絢爛たる影絵」-小津安二郎 文春文庫   1985.5.25 第1刷 筆者 高橋 治 
小津安二郎の生涯と映像の秘密を「東京物語」の助監督をつとめた直木賞作家が、原節子、岸惠子、杉村春子などのエピソ-ドをまじえて記述。
 
以下同著作 -解説 E・G・サイデンステッカ-の言葉-から
わたしの知るかぎりでは、小津はむずかしい人だったようである。小津と仕事をした何人かの男女優が、彼はこわい人でやさしく手を差しのべてくれる人ではなかったと語るのを聞いている。しかし彼の映画を観て感じるのは静謐であり、寛容であり てらいがまったくないことである。これこそが小津の後期の作品群をすばらしいものとしている特質である。・・基本的には善良な人物が他の人物と不幸なかたちでかかわりをもってしまうのを、観客は観るのである。たいていの人間が実生活で経験するような人生をそこに見るのである。・・・最も重要な点だがてらいのなさがある。人物の人間らしさを描ききってしまえば、小津は技術的な巧みさをひけらかす必要を感じなかったのである。彼の最良のいくつかの作品は絵画的な意味で美しいが、黒沢がしばしばそうであるように、それ以上に溝口がそうであるようには絵画的な美しさにはこだわっていない
   
鈴木-高橋 治氏は、富山県越中八尾を舞台にした小説「風の盆恋歌」の筆者である。氏の同作品を読んで「おわら風の盆」を見に行くきっかけになったという方もいるという。
ある時期、映画とは、見るものでなく、個人個人では体験し得ない人生を、共有のものとして体験する場であったと、高橋氏は言う。
     
鈴木-小津安二郎監督のロ-ポジ(小津監督のカメラ位置は常に低い。そして殆どカメラが動かない)について、興味深い記述がある。篠田正浩監督との会話である。
<高橋 治「絢爛たる影絵」P.117から>
篠田 「(小津作品)は見るたびに新しい顔をしているんだ。理解が深まった。身につまされることの切実感が強くなった。・・・」
高橋 「じゃ、一番新しい発見はなんだ。」
篠田 「ロ-ポジかな」「あれはな、定点観測だと思うんだ」
高橋 「なにを観測する」
篠田 「世ののうつろい、人のうつろい
高橋 「なるほど。うつろいを見据えるのなら、凝視だな。動くわけにはいかない。
篠田 「・・・うつろいを見るのなら、高い位置から見下ろすのは良くない。
高橋 「で、・・・・観測した結果は」
篠田 「あったものがなくなっていくドラマなのさ・・・「晩春」で、結婚式を終えた笠さんが帰って来るだろう。お帰りなさいと出て来るのはお手伝いさんの高橋豊子なのさ。原節子はいない。廊下がうつる。そこにあったシンガ-ミシンが消えている。ファ-スト・シ-ンに存在したものが次々と消えていく。
高橋 「行きつく先は」
篠田 「ゼロだろう」
高橋 「絶望と無のこよなく美しい描写か」    
    篠田は黙ってうなずいた。

<小津安二郎監督の死>・1903.12.12-1963.12.12 
鎌倉の円覚寺に作られた墓の碑銘を同寺の朝比奈宗源が書いた。それが無の一文字・・・。小津の墓碑銘"無"の一字は、作品に漂う無常観にこの上なくふさわしいものに見える。満六十歳の誕生日に小津は世を去った。還暦の年の死去は決して珍しい例ではないだろう。だが、一日の誤差もない還暦の日の死はいかにも小津らしい。潔癖というか、几帳面というか、それとも類い稀な星の下に生まれついたことを思わせるべきなのか。死は必然だが、死期は自殺でない限り偶然に支配される。しかし、小津ゆえに、偶然が偶然でないもののように見えてくる。いかなる場合にも完璧さを求めて譲らなかった小津の生き方のせいだろう。 高橋 治 「絢爛たる影絵-小津安二郎」P.118から。
鈴木慶治-補足
外国の女優さんで、誕生「月日」と同じ日でなくなったのが、イングリッド・バ-グマン・<19158.29-1982.8.29>。
下の写真 「東京物語」 笠智衆 東山千栄子
      「晩春」   原節子 笠智衆 

ドラマや映画について-友人とのメ-ル。

○鈴木から-映画好きのAさんへ送信メ-ル。2010.5.02
1987年のNHK放送番組ータイトルは「今朝の秋」について。笠智衆さん、杉村春子さんが老夫婦役を演じてます。小津安二郎の世界(家族の心理描写がうまい)を彷彿とさせます。原作は山田太一さん。音楽は武満徹さん。演出は深町幸男さん。出演者は息子役で杉浦直樹さん、杉村さんの居酒屋?で働くのが樹木希林さん。加藤 嘉さんは笠智衆さんの友人役。33年前の作品で亡くなった方が数多く出演してます。ここまでで凄いドラマの予感がします。実際凄いのですが・・。豪華な配役陣でしょう。現在ではとても実現不可です。自分としては、もうこれだけで感動ものです。蓼科の山荘と東京の病院がドラマの舞台。あらすじを詳しく説明出来ない?のが残念です。上質のドラマに触れたことの感動や充足感は、外出自粛も過ごし方によっては意味ある!かなと思いました。老齢社会と家族の関係がこのドラマのテーマです。老いること、生きること、そして死にいくこと。永遠のテーマです。これをいかに演じきるかは、個々の役者さんの力量に負うところ大です。このドラマはその意味で見応えがあります。(特に、余命いくばくもない息子役を演じた、杉浦直樹の演技には「リアル感」をこえて、鬼気迫るものがあった。)

-鈴木の補足 <今朝の秋-あらすじ> 蓼科の山荘にこもる老人は、ある日東京に住む一人息子の死が近いことを知らされる。彼は山を降り病院へかけつけるが、死と対峙する息子を前に老いたる父として何を言えようか。また老人はそこで図らずも、別れた妻と再会する。二十年前男と去った許せぬ妻ではあるが、彼女もまた、わが子のせめて最後の時に尽そうと来た・・・。蓼科で隠居生活を送る男(笠智衆)は、50代の息子(杉浦直樹)ががんで余命3か月と知らされ、息子に会うために上京。そこで20年以上前に別れた妻(杉村春子)と図らずも再会する。息子夫婦も離婚の危機にあった。今、親として何をすべきなのか・・・。2人は家族の重さを知る。笠と杉村の共演は26年ぶりだった。第14回放送文化基金賞本賞毎日芸術賞(深町幸男演出)ほか、多くの賞を受賞。

○Aさんからの返信 2020.5.2
NHKドラマ『今朝の秋』山田太一さんの作品で配役やスタッフ等を聞いただけでこれは傑作に違いないと思いました。小津安次郎の描く世界観と少し似ているんですか?私は、まだ観たことはありませんでしたが、老齢社会と家族の関係がテーマなんですね。NHKのBSか何かで放送したんですか?山田太一と云えば、『ふぞろいの林檎たち』が記憶に残っています。そして、映画の原作を書いた『異人たちとの夏』大林信彦監督の作品も面白かったです。そう言えば最近、映画をちっとも見ていません。(朝ドラや民放の連続ドラマは結構観てますが)小津安次郎の映画『おはよう』を今年の春か去年の暮れ辺りにBSで放送したのを録画して観たくらいです。勿論、笠智衆と杉村春子のコンビに佐田啓二と久我美子達が主演です。小津の作品では、あまり高い評価でなかったようですが・・・、私は当時ほぼリアルタイムで子どもの頃、場末の映画館(北海道千歳市)で観たこの作品が何故か好きです。東京物語も勿論好きですが、コメディタッチの明るい日常茶飯事を描いたこの作品が好きです。

鈴木の補足-「お早よう」のあらすじ郊外の住宅地、長屋のように複数の家族が隣り合って暮らしている。林家の息子実(設楽幸嗣)と勇(島津雅彦)はテレビがほしいと両親にねだるが、聞き入れてもらえない。子供たちは、要求を聞き入れてもらえるまで口を利かないというストライキをして、最終的に買ってもらうのだった。作品について-1959年(昭和34年)1月にロケハンをし、2月27日から4月19日まで撮影をし、5月12日に公開された。小津作品としては二本目のカラー作品であり、画面における色彩の使い方に小津の遊び心が随所に感じられる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

○Aさんからの返信-2020.5.4
最近ちっとも映画を見に行かないので反省してます。刺激になって録りだめした映画を久々に観ました。鈴木清順監督の『けんかえれじー』です。高橋英樹主演、マドンナ役は浅野順子です。旧制中学生のバンカラなけんか三昧の日々から、北一輝との出会いで、226事件後にもっと大きなけんかをしに旅立つと言う話です。最初に観たのが学生時代でしたが、当時の学生運動(映画の主人公は右傾化した若者ですが)の雰囲気とマッチしたのか若者に歓迎されたように思います。私は、浅野順子とのプラトニックラブの高橋英樹がとった行動・・・がとても刺激的で、でも当時の若者には私も含め共感したように思います。私はイングリッドバーグマンやビビアンリーの作品は、名前だけで観てません。私の映画との出会いは、小1頃の萩市の映画館です。当時叔母の夫が、映画撮影技士をやっていて映画館🎥のバックヤードである上映機器の部屋に入れてくれて舞台裏を見せてくれたのを今でも鮮明に覚えています。

○鈴木慶治-Aさんへ送信 2020.5.4
(メ-ルの中の映画に関する部分を)ホームページに載せることにご理解頂きありがとうございます。鈴木清順監督の『けんかえれじー』は、評判になったのは知ってましたが、観ていません。Aさんの映画との出会いが、小1頃の萩市の映画館というのは、すごく興味深いものがあります。映画撮影技士ー映写機器の部屋ー舞台裏ー半世紀以上前ー萩時代のA少年が目に浮かぶようです。先日の北海道・千歳の場末の映画館といい、様々な思いを自分に感じさせます。映画って見る側の人生も感じさせるんですね。ありがとうございます。

○Aさんから返信 2020.5.5
私の映画との出会いは、萩に住む叔母の夫が当時映写技士をしていて・・・確か夏頃、映写室の中にいれて貰ったような気がします。大きな映写機🎦️は、当時5~6才の子どもにとってとてもインパクトがあり、鮮明に覚えているのです。所謂、私にとってのニユーシネマパラダイスの世界です。そして、北海道千歳の場末の映画館で小津安次郎の映画を観たと言うのは、オヤジが千歳に転勤になり映画館のすぐ裏手に住んでいて歩いて1分も掛からないその映画館に、当時9~10才の私は小遣いをせびって行ってたように思います。

○鈴木から旅好きのT.さんへ、送信メ-ル 2020.5.25
御無沙汰しておりますが、如何お過ごしですか。何カ月もしないうちに世の中が大きく変化してしまいました。旅に出ることはままならなく、都心に出ることすら躊躇しています。予定も大きく変わりました。感染の恐れが払拭出来たらまたお会いしましょう。読書と映画を見る!日々です。

○T.さんからの返信  2020.5.25
しばらく旅行にも行けないのでパンフレットを見る気にもなりません。実は3月末にモロッコへ行く予定でしたがキャンセルしました。その前はまだこんなに(コロナ感染)で騒いでいない時期だったので、ブルネイに行ってきましたが帰ってきてから心配になりしばらく家から出ないようにしていました。何日か経って熱も出ないので恐る恐る外に出た次第です。2月末から何回か外へ出ましたがあとは買い物だけです。テレビとパズルとゲームしかしてないです。昨日は久しぶりに夜散歩へ出かけました。足が弱るのでここ何日か踏み台昇降をしています。テレビも気の滅入るニュースばかりですね。映画を見ようとしても無料のやつは面白そうなのやってません。有料なのは沢山あるのですがこんな時だから無料で観れるようにしてくれればいいのにね。ヘップバーン可愛かったですね。この写真はローマの休日ですよね?DVD持ってます。昔の名作といわれる映画がみたいです。長くなりましたけどいつまでこの生活が続くのかわかりませんが早く元の生活に戻れて旅行したりお喋りしたいですね。

デビュー当時・1935. の原節子 15歳頃  右 家庭が経済的に困窮し、高女を中退して映画界入りした。

洋装・和装ともによく似合う-若き日の原節子。

○T.さんから返信 2020.5.26
今日にも解除が出そうですがまだまだ県を超えた移動は出来そうもないですね。先日映画の「終わった人」を見ました。舘ひろしが主演です。その中で飲み会の中でみんなが「さんさ踊り」を踊るシーンがありました。懐かしくなってYouTubeで探して見ました。昨年は盛岡駅で見ましたがYouTubeでは街を踊り歩くシーンでした。太鼓を叩くのが踊りだったんですね?私はミスさんさ踊りの人が踊っていた踊りをみんなで踊るのだと思ってました。太鼓を叩きながら踊るのは大変なんでしょうね?なんだか今度は街を踊り歩くのを見てみたい気持ちになりました。今年の開催は無理なんでしょうかね?見られないと思うとすご〜く見たい気持ちになってきます。旅行も同じで行けないとなると無性に出かけたくなりますね。何も考えずにいろいろなことができるのが当たり前だったあの頃に感謝です。早く元の生活が戻ることを願ってます。

○鈴木からT.さんへ送信
自粛解除は段階的で、完全に安心というまでには程遠いのかな。ワクチン、治療薬が一般的になるのは、これまた先のこと。ウィルスそのものは消滅不可で共存していくしかないとも聞きました。話変わり、さんさ踊りのことです。ドラマは見てないので、なんとも言えないのですが。さんさ踊りの特徴としては、地域ごとに33通りの踊り方があり、ここからさんさの呼び名がついたといいます。基本的に太鼓、鉦、囃子が入るようです。夜のパレードでは大勢で太鼓を叩きながら通りをパレ-ドして歩くのが見所になってますね。駅前で踊るさんさ踊りは、各地域に残る伝統踊りを踏まえているみたいです。輪踊り、ステージ踊り・・・。三本柳さんさ踊りが地域色をよく出している感じです。ミスさんさ参加の踊りは、共通に踊れるようにと考案されたものと聞きました。2020年の開催は多分無理でしょう。東北の夏祭りは軒並み不可となれば、寂しいことです。話変わり、映画のこと。私のホームページに映画に関することを、無知を承知の上で臆面もなく書き込みしました。映画紀行、映画紀行Ⅱ、映画紀行Ⅲと名付けました。

○T.さんからの返信  2020.5.26
映画紀行、読ませてもらいました。ここに紹介されていた映画はなんらかの形で見たように思います。筋も覚えていないものもありますが。中でも「風と共に去りぬ」はいつ頃だったか忘れましたがあの長い映画を2回連続で見た記憶があります。1回目を見てなんだか帰れない気持ちになってそのまま2回目を見ました。疲れました。うろ覚えですがビビアン・リーが夕陽の中、決意する場面が印象に残ってます(そんなシーンありましたっけ?) <鈴木補足-ありました。大事なシ-ンでした。>
「今朝の秋」は見たような気がします。NHKオンデマンドで見られると思いますのでもう一度見てみたいと思います。私の好きな映画は(見た数は少ないですけど)邦画では「砂の器」です。あの回想シーンは何回見ても涙が出てきます。洋画では「素晴らしき哉人生」です。主演はジェームス・スチュワートだったと思いますが心温まる作品でした。もっと本を読んだり、名作と言われる映画を見たりいくらでもやることはあったのにテレビやゲームの毎日でした。

『ながらえば』. 作・山田太一 主演・笠智衆  1982年 製作
笠智衆と宇野重吉が共演した唯一のドラマ。2人の名優が対面するクライマックスは必見第23回モンテカルロ・テレビ祭ゴールデンニンフ賞を受賞。 作:山田太一 音楽:湯浅譲二
老人、老夫婦の生き方、息子たちとの絆を通して、日本の高齢化社会が抱える問題をあらためて探る。

下の写真 「今朝の秋」 笠智衆 杉浦直樹 杉村春子

下の写真「ながらえば」 笠智衆  宇野重吉

寝たきりの妻を名古屋の病院に残し、富山に転勤する息子一家と暮らさなければならない老夫(笠智衆)。しかし妻に会いたいという思いは日ごとに強まり、ある日彼は名古屋へ向う列車に飛び乗ってしまう。だが、ふとしたことから途中、高山本線・猪谷駅で下車を余儀なくされる。そこで、今しがた老妻に先立たれた旅館の主人(宇野重吉)と知り合うことになる―。
二人の会話は、宿の主人、宇野の亡くなった老妻への言葉からはじまる。何もしてやれんかった・・・。近場の温泉にも連れていってやれんかった、やかましい、やかましいで話しもろくにきいてやれんかったながいこと夫婦でおったのにたいしたこともしてやれんで・・・・と話す。一方の笠智衆といえば、名古屋の病院に残した老妻が今にも死にそうであるという、強い予感と不安にかられて、殆ど金銭を持たずに富山を出てきた。一夜の宿を借りたが金のないことが言い出せないでいる。宿の主人の老妻への思いをしみじみと聞き入り、思い切って自分が病気の老妻に会いに名古屋に行くこと、そのための宿賃も含めた金がないことを話す。じっとそれを聞いていた宿の主人は、これから名古屋に向かう夜行列車があること、すぐに会いにいくことを促し、2万円という金を貸してくれる・・・・。全体からすれば2人の会話シ-ンは短いがドラマの核心部分だ。老妻のことを語る場面には心打たれる。ふたりの間に共感という時間が流れる。見るものに老いるということの寂しさ・悲しさ・つらさを強く感じさせるシ-ンだ。 
-鈴木慶治

笠智衆、長山藍子、中野誠也、佐藤オリエ、堀越節子、宇野重吉 ほか

○Tさんからドラマ「ながらえば」を見たよ-というメ-ルを頂いた。2021.1.27
こんばんは。先日映画紀行で読んだ「ながらえば」をNHKのオンデマンドで見ました。鈴木さんが書かれた様に笠・宇野さんの2人の場面は静かで言葉数も少ないが、連れ合いを思う気持ちを十分に感じさせるものです。初めて会う何も知らない人に2万円を貸すということは、普通なら考えられないことなのでしょうが、妻を思う老人の気持ちを妻を亡くしたばかりの宿主には十分理解できたのでしょう。同じ様な境遇にある2人ならではの場面なのでしょう。私が1番好きな場面は笠さんが妻の眠る病室に行って妻を見た時の表情です。安心したのか会えた嬉しさからか何とも言えぬ表情でした。妻にキスをしようとしたら妻が起きてしまってできなかった時の残念そうな顔。
私は笠さんの優しい表情が大好きです。私も歳をとって(もうとってますが・・・・)あんな顔で毎日過ごしたいとずーっと思ってますが雑念が多くて出来そうもありません。

○Tさんへの返信  2021.1.27
(メ-ル)ありがとうございます。映画やテレビドラマにすぐ感動するものですから、(自分は)ついつい余計なことを書いているようです。笠智衆さんが病室で子どものように涙ぐむシーン(いたい。わしは、おまえとおりたい。おりたい)と妻に背を向けて言う場面は忘れ難いですね。山田太一の本が気になって何冊か買って読んでいます。「砂の器」を書いたページ映画紀行Ⅳは大幅に追加、羅生門、七人の侍、八甲田山にもふれました。見たら感想をください。

アニメ-たかがアニメということなかれ
あだち充の「タッチ」 劇場版3部作が2020.8 BSで再放送された。Ⅰ「背番号のないエ-ス」・Ⅱ「さよならの贈り物」・Ⅲ「君が通りすぎたあと」。タッチの週刊誌連載のほうの開始は39年前という。そんなに時間が過ぎてしまったのかと思う。純な気持ちで「人を好きになる」ことについては、忘れかけた「初々しさ」を思い出した。清々しくもほろ苦い。南と達也の距離感は絶妙。ついたりはなれたりして読者をヤキモキさせる。二人の心が微妙に揺れ動く場面などは、読者をはらはらさせる。ただ「愛しています」という言葉には、違和感がある。どうも自分は愛してますという言葉にはなぜかウソっぽさ感じてしまうのだが。・・・でもピュアな気持ちになれたことは確かだ。」ドラマの進行、間の取り方は心憎い。
雑誌「週刊少年サンデ-」に1981-1986間掲載で読んだ記憶は残念だがはっきりしない。単行本以降に読む。自分の少年時代は鉄人28号とか月光仮面・・・漫画雑誌は買ってもらえず、立ち読み・・・店主がもの凄く嫌がった。貸本屋は近くになかった。-鈴木慶治
あだち充について-
1969年・昭和44年の春、高校を卒業-(鈴木慶治補足・自分と同じ年。)、18歳で東京にでる。高校は前橋商業デザイン科。物心ついた時には絵を描いていて、小学校2年生くらいから漫画を描いていたという。当時はコマ割はしてなくて、月光仮面なんかを模写していた。1967年-16歳頃か。初めて投稿した「虫と少年」で佳作入選。「あだち充本」-漫画家本 小学館から

劇場版「タッチ」3部作以降に制作された作品。高校を卒業後した「上杉達也と浅倉南」のその後をえがいたスペシャルDVD、タイトルが「あれから君は・・・」-Miss Lonely Yesterday(1998年放送)。次に「風のゆくえ」CROSSROAD(2001年放送)が制作された。大学時代が内容の「あれから君は・・」には野球シ-ンの見せ場は少ない。野球をはなれた達也と新体操に励む南の青春を描いている。南と達也の距離感はいつも通り絶妙。ついたりはなれたりして読者をヤキモキさせる場面はこの作品でも健在。一方「風のゆくえ」は達也の投球シ-ンがたくさん見れる。舞台はアメリカ-マイナ-リ-グという設定。直球主体のスピ-ドボ-ルから最後の打者を「変化球」でアウトにする場面は興味深い。南がカメラマン助手に挑戦し、渡米して達也の試合-投球する姿-を写真にとる。今までにない浅倉南が見られる筈。前作品がふたりの「恋愛感情」に視点をおき、後作品はふたりの「自分さがし」に視点をおいている。「あれから君は・・・」には達也に急接近する水野香織という少女が登場する。両親と双子の妹を事故で失い都会に出てきて、一人で生きているという魅力的な美少女キャラである。
-鈴木慶治

上杉達也と浅倉南の通った学校「明青学園高等部」は、コミック「MIX」の中でいまだ健在である。
上杉兄弟の伝説-タッチから26年後、再び明青学園の青春ドラマが始まった。

向田邦子・脚本と久世光彦・演出によるTVドラマのDVD