本紀行Ⅸ


本の紹介ペ-ジを「本紀行」・本の旅としてはじめたら、いつのまにかそれが「Ⅸペ-ジ」となった。いっそ「日本写真紀行」を「日本読書紀行」にしようかとも冗談半分にも思う日々である。コロナウィルスで自由に旅することが出来ず、今まで読んできた本、目にしてきた本へと心が向かう次第です。  鈴木慶治   2021.5

○「世界素描大系Ⅱ」 ドイツ、フランドル、オランダ 13~19世紀 講談社 昭和51年3月25日第1刷発行。表紙はアルブレヒト・デュ-ラ- (1471-1528年)の素描 -93歳の老人の肖像- 1521年作

素描、つまりフランス語でいうデッサン、英語のドロ-イングは、それ自身完成された絵画として作られたものではないけれども、作家の心眼に映ったイメ-ジをそのままに描いたものとして芸術的価値の高いものが少なくないという。

アルブレヒト・デュ-ラ-  -アルブレヒト・デュ-ラ-の父-1486年

アルブレヒト・デュ-ラ-  -死せる荊冠のキリスト- 1503年

アルブレヒト・デュ-ラ-  -デュ-ラ-の母の肖像-  1514年

アルブレヒト・デュ-ラ--聖アンナ(アグネス・デュ-ラ-の肖像)-
・デュ-ラ-の妻、アグネスの肖像 1519年

アルブレヒト・デュ-ラ-  -ある建築家の肖像- 1506年

アルブレヒト・デュ-ラ- -眼を閉じた若い婦人の頭部- 1520年



「世界素描大系Ⅰ」イタリア 13~19世紀 講談社 昭和51年発行 
表紙はレオナルド・ダ・ヴィンチ -五っのグロテスクな頭部- 

レオナルド -レダの頭部-

レオナルド -二つの頭部-

レオナルド -描く人物のための衣襞の習作-

「世界素描大系Ⅲ」 フランス 13世紀から19世紀
表紙 エドガ-ル・ドガ(1834-1917) -ジョヴァンナ・ベルレルリ  ドガのいとこ 1857年

画家I.D.Cのイニシャル -ガブリエレ・デストレ(ポ-クオ-ル公紀)-  1529年26歳で急死

ドガ -若きルネ・ド・ガの横顔-  ドガの弟

ルノワ-ル  -田舎の踊り- 

ルノア-ル -女と子供(ジャン・ルノワ-ル・ガブリエル) ・ジャンは後年著名な映画監督となる。 

アングル -モワトシエ夫人の肖像習作-

アングル   -プ-クヴィル氏の肖像-

ジャン・フランソワ・ミレ-(1814-1875)   -子供に食べさせる農婦-
この主題の絵を1861年のサロンに出品したしたが、粗野であるとして激しく攻撃を受けた。

ドガ -斜め前向きのポ-ズをとる踊り子- 

ロ-トレック -ジャ-ヌ・アヴリルの肖像- 
ム-ラン・ル-ジュの踊り子 貴族と娼婦の間に生まれ無学であつたが、幅広い読書、著名な文学者、作曲家、芸術家たちとの間を出入りした。

「世界素描大系Ⅳ」 東洋・スペイン・イギリス・アメリカ 現代
表紙 バブロ・ピカソ  -若きアルルカンの頭部- 1921年

コロ- -ベレ-帽の娘-  

ルノワ-ル 


以下は「素描大系」外
レオナルド・ダ・ヴインチ(1452-1519) -リッタの聖母- 1490年頃 エルミタ-ジュ美術館

ミケランジェロ(1475-1564) -ピエタ-  1499年  サン・ピエトロ大聖堂
十字架から降ろされた死せるイエスを抱くマリアの悲哀(ピエタ)を刻んだ高さ174センチの大理石像。ミケランジェロ23歳の時の作品。
ロマン・ロラン「ミケランジェロの生涯」(高田博厚訳) 岩波文庫から
-久遠に若い「処女」の膝の上に、死せるキリストは眠れるように横たわっている。清純なる女神と受難の神の顔には天上の端厳さが漂っている。けれどもまたそこには言い現わしがたい憂愁が溶け、二つの美しい姿を浸している。悲哀がミケランジェロの魂に乗り移ったのであった。

ル-ベンス(1577-1640)  -クララ・セレ-ナ・ル-ベンスの肖像- 1615-16年
12歳で病死した第1子、長女クララ。肌や髪の毛の表現に天才的な絵筆のあとが窺える。


中野京子の本-北海道生まれ 作家 ドイツ文学者
大学で語学や西洋文化史を教えながら、翻訳書やオペラなどの本を出している。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに、絵画エッセイや歴史解説書を多数発表しています。

「西洋絵画史といえば、たいていは中世から始まって、ルネサンス、マニエリスム、バロック、云々と続き、印象派を経て現代の混沌たる状況まで、という流れが解説されています。・・・そこでこれまでとは違った括りをしてみたのが、この小著(「絶筆」で人間を読む-画家は最後に何を描いたか-)です。画家は最後に何を描いたか。これはある意味、何を描かざるを得なかった、ということに通じます。つまり近代以前の画家は、必ずしも自由に好きなものを描けたわけではありません。注文を受けてから描くのがほとんどなので、いわば客の体型に合わせたオダ-メイドの仕立てが必要でした。・・・現代人は芸術家に対してロマンティックなイメ-ジを抱き、人生の全てを創作に捧げた求道者こそ真正、と思いがちですが、彼らとて生計をたてねばならず、当然のことながら常に買い手を意識していました。芸術家の営みは想像以上に俗世的で生々しく、きわめて人間的なものなのです
-中野京子 「絶筆で人間を読む から-

ロマン・ロラン 著作本 「ミレ-」 「ミケランジェロの生涯」
「ミレ-という人物は19世紀のフランスにおいては驚くべき人物である。彼はぜんぜん別の時代や民族に属する人間、まったくちがった一思想形式であるかのように思われる。フランス美術の中での孤独者であり、ほとんど外国人である。彼は讃美者からも反対者からも同じように誤解された。前者は彼を新しいデモクラシ-の大胆かつ忠実な解説者として迎えた。後者は彼を、支配する有産階級の目の前に、苦しむ勤労者の通俗劇的な画をならべる、演説する社会主義者とみなした。批評界は彼のすべての作品の中に、政治上の暗示をみた。・・・しかしそういうものほど、ミレ-の心から遠いものはなかったのである。感傷的で通俗劇的な絵画を嫌い、政治に無関心であったのである。社会主義を拒んでいたのである。彼はこう言っている。「私の批評家たちは、趣味もあり教養もあると人びとであると思う。けれど私はその人達と同じような人間になることができない。私は一生のあいだ田野しか見たことがないのだから、自分の見たものをただ率直に、けれどもできるだけ上手に語ろうとしているのだ。」・・・彼の愛好した大家たちは、フランス17世紀の大家と、ミケランジェロであった。彼を圧倒し、彼を暴君のように支配し、また彼の方でも他のいずれかの大家より愛した天才は、ミケランジェロであった。-岩波文庫 蛯原徳夫訳 1939年10月5日第1刷発行 1998年5月18日第27刷発行-

ロランの「ミケランジェロ」を読み終わってなにか底知れない寂しさを感じるかもしれない。あの圧倒する力にあふれる彫刻と絵画の大記念塔を築き上げた天才の奥に、決断力がなく意志力に乏しく、ある時には親友を売るほど臆病で、始終自分の家柄や金のことにくよくよしし、また愛情生活でも変質者だった情けない老人を見出す。ロランがことさらにそういう面だけを強調したのではなかろうか。そうではない。ロランは彼の「ミケランジェロ」で従来の伝記を訂正してもいなければ、新発見もしてない。ただごまかすことなく「芸術創作において最も力強い」者の「真の姿」を示したのである。われわれはこのミケランジェロに現れた人間の姿をさまざまの芸術の天才たちにも見出すであろう。そうして、それは矛盾や二重人格的虚偽の指摘では毛頭ない。逆に「弱き人間」が一元化してゆく「力」、それが最も純粋に現され示されるのが「芸術創作」であることをロランはわれわれに伝えたのである。・・ルネッサンス芸術の壮大さにおどろいて、一般は芸術家全盛と思うであろうが、真実は豪華絢爛を好む権力階級が芸術家を奴隷のように駆使して己が欲望を充たしたのである。ロランの「ミケランジェロ」はそれを明らかに示した。
-岩波文庫 高田博厚訳 ロマン・ロランと「ミケランジェロ」について 高田博厚 1963年2月16日第1刷 2018年6月25日第41刷発行