北海道紀行
初めて北海道に行ったのは1971年(昭和46年)の夏、半世紀たった現在でも思い出すことがたくさんある。道内の何処に行っても同年代(10代後半~20代)の人たちと出会うことが出来た。その出会いだけでも深く心に残ることが多かった。比較的宿泊費が安いYHに宿泊し、現在よりも数多く敷設されていた鉄道路線(多くは廃線・・・)を使っての約2週間におよぶ旅だった。
2017.5.21 函館本線・車窓風景 駒ヶ岳
函館本線から 大沼
函館本線 森駅
内浦湾
2015.3.01 小樽運河
小樽港は北海道開拓の玄関口として発展。大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていた。取り扱う荷量が多くなり、運搬作業を効率的に行う必要が出てきて、海面を埋め立てることによってできたのが「小樽運河」で大正12年に完成。海岸の沖合いを埋立てて造られた。昭和61年、一部を埋立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備された現在の姿に生まれ変わった。
余市 ニッカウィスキ-蒸留所 2015.3.1
日本のウイスキーの父”と呼ばれるニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。自身のウイスキーづくりの理想郷を求め、たどり着いた場所。それが、北海道・余市です。
2015.3.2 層雲峡・氷瀑まつり
紋別港 2015.3.2 流氷船は欠航
撮影 2012.6.10
洞爺湖
撮影日 2018/06/1 場所 野付半島・トドワラ
「天にまで届くかと思わせる長い直線道路」
宗谷丘陵
納沙布岬 花咲蟹
道内をほぼ一周する「鉄道旅」をした。(2017年.5月21-25)
大宮-青森-北海道新幹線-函館本線-室蘭本線-千歳線-石勝線-根室本線-根室本線(花咲線)-釧網本線-石北本線-宗谷本線-函館本線-青森-大宮着 鉄路距離 合計約3900.Km の旅。
<旅の行程地図 文字は本人>
下は昭和40年代の北海道-鉄道路線図-
半世紀も前の旅・・・・
「苫小牧駅」・「支笏湖」でのボ-ト漕ぎ、「札幌」のポプラ並木には心に残る思い出がある・・・。
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函館山から 2012.6.10
函館山(はこだてやま)は、北海道函館市の市街地西端にある山であり陸繋島でもある。標高334m、周囲約9km。牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれる
。
五稜郭
星形五角形の外観から、「五稜郭」と呼ばれる。1864年に建てられ政治的中心地としての役割を果たしていたが1872年に解体、1914年から五稜郭公園として一般開放された。1952年には五稜郭跡として特別史跡の指定を受け、国民的遺産として保護された。春には1600本の桜が咲き、名所になっている。面積は約25ヘクタール。
函館奉行所
土方歳三
幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府陸軍奉行並。
新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年5月11日(1869年6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。
釧路湿原・鶴見台 2014年11月
啄木と釧路
啄木は1908年(明治41年)に小樽からこの釧路にやってきた。 釧路新聞の記者としてここ釧路に76日間滞在した。
76 日間の短い期間だが、旺盛な執筆活動と小奴をはじめ幾人かの女性との交遊とともに短歌ものこした。
港文館は彼が勤めた旧釧路新聞社の建物を復元したものである。 啄木像は本郷新の作。
弊舞橋 ぬさまいばし
釧路市には釧路市北大通と釧路市大町を分ける釧路川が流れており、その間を結ぶのが幣舞橋である。幣舞橋は明治22年(1889)に、全道一長い木橋として架けられた。 幣舞橋の欄干には「四季の像」が配置されている。四季の像はそれぞれ作者が異なり、「春の像」は舟越保武氏、「夏の像」は佐藤忠良氏、「秋の像」は柳原義達氏、そして「冬の像」は本郷新氏(港文館前の石川啄木像も同氏)の制作によるものである。
舟越保武(ふなこし やすたけ)。
戦後の彫刻界を代表する彫刻家。1912年-2002年。( 岩手県一戸町出身)。 カトリック信者でもあり、その作品はキリスト教関連のものが非常に多いという特徴がある。長崎の「二十六聖人殉教像」も同氏の作品。1939年 東京美術学校彫刻科を卒業。佐藤忠良氏との出会いは、美校在学時のことで、その変わらぬ友情は生涯続いた。ここ弊舞橋ではふたりの作品を見ることが出来て感慨深いものがある。-鈴木慶治
羅臼岳と知床峠 2018.6.17
知床一湖
知床・ウトロ 知床観光クル-ズ
仲良し二人組-知床の海の記憶は、きっと生涯にわたる思い出となろう。
宇登呂港 早朝
オロンコ岩からウトロ港を見下ろす。
ウトロを高台から見る
阿寒湖
2014/11/16
雄阿寒岳 1321