九州紀行

1974年、沖永良部島に旅した。沖縄返還は1972年・5月15日。当初は本土復帰2年後の沖縄行きが目的だった。2月から3月にかけて沖永良部島の民宿でバイトをした。サトウキビの収穫時期であった。バイトの申し出を引き受けてくれた。帰途は宿で顔見知りとなったと男性・(当時熊大の助手をなさっていた)と一緒。熊本に住まいがあり、天草に用事があるとのことで天草下島の牛深まで氏の車に 同乗させていただいた。その時の天草の自然風景が強く心に深く残り、その後も何度か旅をすることになる。
1976年、阿蘇-熊本-三角港から島原半島-長崎-平戸へと、今度は友人と二人旅をした。かくして個人的に九州は思い出が多い土地である

カメラ機種名    Canon EOS 5D Mark II
撮影日       2017/04/25

長崎ハウステンボス・長崎夜景・大浦天主堂・二十六聖人殉教像・震災前の熊本城・2014.2015

長崎の夜景 ホテル日勝館・前庭からのながめ 撮影日 2014.8.15

大浦天主堂   撮影日  2014/08/15

大浦天主堂横の坂道、祈念坂。 作家遠藤周作が長崎に行くたびに「欠かすことなく歩いた」という散歩道。
「朝、早くここを歩き、夕暮、ここを歩き、いつもそこは静寂で誰からも邪魔されることなく長崎湾を見ることができた。」

大浦天主堂裏山から北東方向に見た長崎の町

二十六聖人殉教像  
1597.2.5 磔刑に処せられた二十六人のカトリック信者。舟越保武氏(1912-1999)制作。以下「舟越保武 石と随想」年譜から
「舟越氏はこの像制作にあたり、殉教者が歩いた行程を自ら歩き、資料を読み込み、二十六人のひとりひとりが最もその人らしいと納得できるまで何度も作り直し、完成までの4年間はアトリエで像と起居をともにする日々を送る。当初のテ-マは「処刑の情景」であったが、保武氏は二十六人の像を一列に並べ天を仰ぎ聖歌を合唱しながら昇天する姿に作り、丘を登ってきて記念像にはじめて接するとき、遠くから大きなブロンズの十字架に見えるように制作した。1958年~1962年・氏46歳から50歳の制作。第5回高村光太郎賞を受賞。」
「2002年.2月5日多臓器不全・90歳にて死去。奇しくもこの日は二十六聖人殉教者の記念日であった。」
撮影日   2014/08/16

左 アントニオ13歳 右 ルドビコ茨木 12歳

震災前 撮影日  2015/04/14  熊本城

撮影日 2015/04/14

撮影日 2015/04/14

撮影日 2014/08/16

撮影日 2014/08/16

撮影日 2015/04/14

撮影日 2015/04/14

撮影日 2014/08/16