本紀行Ⅵ


出典・引用


<萩原朔太郎>


「純情小曲集」

出版に際して
昨年の春、この詩集の稿をまとめてから、まる一年たつた今日、漸く出版する運びになつた。この一年の間に、私は住み慣れた郷土を去つて、東京に移つてきたのである。そこで偶然にもこの詩集が、私の出郷の記念として、意味深く出版されることになつた。
 郷土! いま遠く郷土を望景すれば、萬感胸に迫つてくる。かなしき郷土よ。人人は私に情つれなくして、いつも白い眼でにらんでゐた。單に私が無職であり、もしくは變人であるといふ理由をもつて、あはれな詩人を嘲辱し、私の背後うしろから唾つばきをかけた。「あすこに白痴ばかが歩いて行く。」さう言つて人人が舌を出した。
少年の時から、この長い時日の間、私は環境の中に忍んでゐた。さうして世と人と自然を憎み、いつさいに叛いて行かうとする、卓拔なる超俗思想と、叛逆を好む烈しい思惟とが、いつしか私の心の隅に、鼠のやうに巣を食つていつた。

いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん

人の怒のさびしさを、今こそ私は知るのである。さうして故郷の家をのがれ、ひとり都會の陸橋を渡つて行くとき、涙がゆゑ知らず流れてきた。えんえんたる鐵路の涯へ、汽車が走つて行くのである。
 郷土! 私のなつかしい山河へ、この貧しい望景詩集を贈りたい。

西暦一九二五年夏  東京の郊外にて  -萩原朔太郎


夜汽車

有明のうすらあかりは
硝子戸に指のあとつめたく
ほの白みゆく山の端は
みづがねのごとくにしめやかなれども
まだ旅びとのねむりさめやらねば
つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。
あまたるきにすのにほひも
そこはかとなきはまきたばこの烟さへ
夜汽車にてあれたる舌には侘しきを
いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。
まだ山科やましなは過ぎずや
空氣まくらの口金くちがねをゆるめて
そつと息をぬいてみる女ごころ
ふと二人かなしさに身をすりよせ
しののめちかき汽車の窓より外そとをながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花。

こころ

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

女よ

うすくれなゐにくちびるはいろどられ
粉おしろいのにほひは襟脚に白くつめたし。
女よ
そのごむのごとき乳房をもて
あまりに強くわが胸を壓するなかれ
また魚のごときゆびさきもて
あまりに狡猾にわが背中をばくすぐるなかれ
女よ
ああそのかぐはしき吐息もて
あまりにちかくわが顏をみつむるなかれ
女よ
そのたはむれをやめよ
いつもかくするゆゑに
女よ 汝はかなし。



櫻のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも櫻の木の下に立ちてみたれども
わがこころはつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。

旅上

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。



<立原道造>

萱草に寄す

SONATINE

 はじめてのものに

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた


 またある夜に

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう

 晩おそき日の夕べに

大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
だれにもそれとは気づかれない
空にも 雲にも うつろふ花らにも
もう心はひかれ誘はれなくなつた

夕やみの淡い色に身を沈めても
それがこころよさとはもう言はない
啼いてすぎる小鳥の一日も
とほい物語と唄を教へるばかり

しるべもなくて来た道に
道のほとりに なにをならつて
私らは立ちつくすのであらう

私らの夢はどこにめぐるのであらう
ひそかに しかしいたいたしく
その日も あの日も賢いしづかさに?

 わかれる昼に

ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに

弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核たねを放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ

ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ

 のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

<立原道造>

暁と夕の詩

或る風に寄せて

おまへのことでいつぱいだつた 西風よ
たるんだ唄のうたひやまない 雨の昼に
とざした窗のうすあかりに
さびしい思ひを噛みながら

おぼえてゐた おののきも 顫へも
あれは見知らないものたちだ……
夕ぐれごとに かがやいた方から吹いて来て
あれはもう たたまれて 心にかかつてゐる

おまへのうたつた とほい調べだ――
誰がそれを引き出すのだらう 誰が
それを忘れるのだらう……さうして

夕ぐれが夜に変るたび 雲は死に
そそがれて来るうすやみのなかに
おまへは 西風よ みんななくしてしまつた と

やがて秋……

やがて 秋が 来るだらう
夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ
樹木が老いた人たちの身ぶりのやうに
あらはなかげをくらく夜の方に投げ

すべてが不確かにゆらいでゐる
かへつてしづかなあさい吐息にやうに……
(昨日でないばかりに それは明日)と
僕らのおもひは ささやきかはすであらう

――秋が かうして かへつて来た
さうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞ふ人のやうに……

やがて忘れなかつたことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであらう
秋は……さうして……ふたたびある夕ぐれに――


小譚詩

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本をよむのは別の人だつた
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だつた
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)

幾夜も幾夜もおんなじやうに過ぎて行つた……
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
――兵士ジアツクは旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

それから 朝が来た ほんとうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだつた



<中原中也>

在りし日の歌――

なにゆゑに こゝろかくは羞はぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳たちゐたり

枝々の 拱くみあはすあたりかなしげの
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ
をりしもかなた野のうへは
あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき

椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし

その日 その幹の隙ひま 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の 仄ほの燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ……


1 夏の朝

かなしい心に夜が明けた、
  うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
  さてもかなしい夜の明けだ!

青い瞳は動かなかつた、
  世界はまだみな眠つてゐた、
さうして『その時』は過ぎつつあつた、
  あゝ、遐とほい遐いい話。

青い瞳は動かなかつた、
  ――いまは動いてゐるかもしれない……
青い瞳は動かなかつた、
  いたいたしくて美しかつた!

私はいまは此処ここにゐる、黄色い灯影に。
  あれからどうなつたのかしらない……
あゝ、『あの時』はあゝして過ぎつゝあつた!
  碧あをい、噴き出す蒸気のやうに。


2 冬の朝

それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧罩こめた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。
あとには残酷な砂礫されきだの、雑草だの
頬を裂きるやうな寒さが残つた。
――こんな残酷な空寞くうばくたる朝にも猶なほ
人は人に笑顔を以て対さねばならないとは
なんとも情ないことに思はれるのだつたが
それなのに其処そこでもまた
笑ひを沢山湛たたへた者ほど
優越を感じてゐるのであつた。
陽は霧に光り、草葉の霜は解け、
遠くの民家に鶏とりは鳴いたが、
霧も光も霜も鶏も
みんな人々の心には沁しまず、
人々は家に帰つて食卓についた。
  (飛行機に残つたのは僕、
  バットの空箱からを蹴つてみる)

六月の雨

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲しやうぶのいろの みどりいろ
眼まなこうるめる 面長き女ひと
たちあらはれて 消えてゆく

たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠はたけの上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる

      お太鼓たいこ叩いて 笛吹いて
      あどけない子が 日曜日
      畳の上で 遊びます

      お太鼓叩いて 笛吹いて
      遊んでゐれば 雨が降る
      櫺子れんじの外に 雨が降る


雨の日

通りに雨は降りしきり、
家々の腰板古い。
もろもろの愚弄の眼まなこは淑しとやかとなり、
わたくしは、花瓣くわべんの夢をみながら目を覚ます。
     *
鳶色とびいろの古刀の鞘さやよ、
舌あまりの幼な友達、
おまへの額は四角張つてた。
わたしはおまへを思ひ出す。
     *
鑢やすりの音よ、だみ声よ、
老い疲れたる胃袋よ、
雨の中にはとほく聞け、
やさしいやさしい唇を。
     *
煉瓦の色の憔心せうしんの
見え匿かくれする雨の空。
賢さかしい少女の黒髪と、
慈父の首かうべと懐かしい……


冬の日の記憶

昼、寒い風の中で雀を手にとつて愛してゐた子供が、
夜になつて、急に死んだ。

次の朝は霜が降つた。
その子の兄が電報打ちに行つた。

夜になつても、母親は泣いた。
父親は、遠洋航海してゐた。

雀はどうなつたか、誰も知らなかつた。
北風は往還を白くしてゐた。

つるべの音が偶々たまたました時、
父親からの、返電が来た。

毎日々々霜が降つた。
遠洋航海からはまだ帰れまい。

その後母親がどうしてゐるか……
電報打つた兄は、今日学校で叱られた。

生い立ちの記           
  
         I

     幼年時
  私の上に降る雪は
  真綿のやうでありました

     少年時
  私の上に降る雪は
  霙(みぞれ)のやうでありました

    十七ー十九
  私の上に降る雪は
  霰(あられ)のやうに散りました

    二十ー二十二
  私の上に降る雪は
  雹(ひょう)であるかと思われた

    二十三
  私の上に降る雪は
  ひどい吹雪と見えました

    二十四
  私の上に降る雪は
  いとしめやかになりました……

     II

  私の上に降る雪は
  花びらのやうに降つてきます
  薪の燃える音もして
  凍るみ空の黝む頃

  私の上に降る雪は
  いとなよびかになつかしく
  手を差し伸べて降りました

  私の上に降る雪は
  熱い額に落ちくもる
  涙のやうでありました

  私の上に降る雪に
  いとねんごろに感謝して 神様に
  長生したいと祈りました

  私の上に降る雪は
  いと貞潔でありました


 山羊の歌

汚れっちまった悲しみに・・・・

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとへば狐の革袋
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れっちまった悲しみ
倦怠のうちに死を夢む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる

<室生犀星>

愛の詩集

室生犀星
私の室に一冊のよごれたバイブルがある。椅子につかふ厚織更紗で表紙をつけて背に羊の皮をはつて NEW TESTAMENT. とかいて私はそれを永い間持つてゐる。十余年間も有つてゐる。それは私の室の美しい夥しい本の中でも一番古くよごれてゐる。私は暗黒時代にはこのバイブル一冊しか机の上にもつてゐなかつた。寒さや飢ゑや病気やと戦ひながら、私の詩が一つとして世に現はれないころに、私はこのバイブルをふところに苦しんだり歩いたりしてゐた。いまその本をとつてみれば長い讃歎と吐息と自分に対する勝利の思ひ出とに、震ひ上つて激越した喜びをかんじるのであつた。私はこれからのちもこのバイブルを永く持つて、物悲しく併し楽しげな日暮など声高く朗読したりすることであらう。ある日には優しい友等とともに自分の過去を悲しげに語り明すことだらう。どれだけ夥しく此聖書を接吻することだらう。

をさなき思ひ出


おれはよく山へ登つた
山にはいろんな花がさいてゐた
気の遠くなるやうな深い谷があつた
そこでよくねころんだ
そのゆめのあとが
ふいと今のおれの胸に残つてゐて
緑緑あをあをともえてゐた


松並木は果もなかつた
僕はいつもとぼとぼと歩いて行つた
そのやうに海は遠かつた
僕はいつも泣きながら歩いた
歩いても歩いても遠かつた
僕は海の詩をかいて都へ送つた
あれからもう十年は経つて了つた

故郷にて作れる詩

はる

おれがいつも詩をかいてゐると
永遠がやつて来て
ひたひに何かしらなすつて行く
手をやつて見るけれど
すこしのあとも残さない素早い奴だ
おれはいつもそいつを見ようとして
あせつて手を焼いてゐる
時がだんだん進んで行く
おれの心にしみを遺して
おれのひたひをいつもひりひりさせて行く
けれどもおれは詩をやめない
おれはやはり街から街をあるいたり
深い泥濘にはまつたりしてゐる

桜咲くところ

私はときをり自らの行為を懺悔する
雪で輝いた山を見れば
遠いところからくる
時間といふものに永久を感じる
ひろびろとした眺めに対ふときも
鋭角な人の艶麗がにほうて来るのだ
艶麗なものに離れられない
離れなければ一層苦しいのだ
その意志の方向をさき廻りすれば
もういちめんに桜が咲き出し
はるあさい山山に
まだたくさんに雪が輝いてゐる

朝の歌

こどものやうな美しい気がして
けさは朝はやくおきて出た
日はうらうらと若い木木のあたまに
すがらしい光をみなぎらしてゐた
こどもらは喜ばしい朝のうたをうたつてゐた
その澄んだこゑは
おれの静かな心にしみ込んで来た
おお 何といふ美しい朝であらう
何といふ幸福しやはせを予感せられる朝であらう

夕の歌

人人はまた寂しい夕を迎へた
人人の胸に温良な祈りが湧いた
なぜこのやうに夕のおとづれとともに
自分の寂しい心を連れて
その道づれとともに永い間
休みなく歩まなければならないだらうか
けふはきのふのやうに
変ることなく うつりもせず
悲哀かなしみは悲哀かなしみのままの姿で
またあすへめぐりゆくのであらうか
かの高い屋根や立木の上に
けふも太陽は昇つて又沈みかけてゐた
それがそのままに人人の胸にのこつた
人人はよるの茶卓の上で
深い思索に沈んでゐた

犀川の岸辺

茫とした
ひろい磧は赤く染まつて
夜ごとに荒い霜を思はせるやうになつた
私はいくとせぶりかで
また故郷に帰り来て
父や母やとねおきしてゐた
休息は早やすつかり私をつつんでゐた
私は以前にもまして犀川の岸辺を
川上のもやの立つたあたりを眺めては
遠い明らかな美しい山なみに対して
自分が故郷にあること
又自分が此処を出て行つては
つらいことばかりある世界だと考へて
思ひ沈んで歩いてゐた
何といふ善良な景色であらう
何といふ親密な言葉をもつて
温良な内容を開いてくれる景色だらう
私は流れに立つたり
土手の草場に座つたり
その一本の草の穂を抜いだりしてゐた
私の心はまるで新鮮な
浄らかな力にみちて来て
みるみる故郷の滋味に帰つてゐた
私は医王山や戸室や
又は大日や富士潟が岳やのの
その峯の上にある空気まで
自分の肺にとれ入れるやうな
深い永い呼吸を試みてゐた
そして家にある楽しい父母のところに
子供のやうに あたたかな炉を求めて
快活な美しい心になつて帰つて行くのであつた


しぐれ

あはあはしい時雨であつた
さつと降つて
またたく間に晴れあがつて行つた
坂みちを上りながら
空はと見れば
しぐれは街のなかばに行つて
片町あたりにふつてゐた
さうかと思ふともう寺町の高台あたり
明らかに第二の時雨が訪づれ
そのおとは屋根屋根の上をつたつて
蒼い犀川の上を覆ふのであつた

室生君。
 何と云つても私は君を愛する。さうして萩原君を。君と萩原君とはまことに霊肉相通じた芸術的双生児である。その何物にも代へ難い愛情、激烈なる相互の崇敬感激、之を二魂一体と君等は云ふ。まさしく君等は両頭の奇性児である。相愛し相交歓し乍ら、君等はその気稟に於て、思想に於て、趣味、并びにもろもろの好悪に依つて、寧しろ血で血を洗ふ肉親の仇敵の如く相反し相闘ふ。
 君は健康であり、彼は繊弱である。君は土、彼は硝子。君は裸の蝋燭、彼は電球。君は曠原の自然木、彼は幾何学式庭園の竹、君は逞ましい蛮人、而して彼は比歇的利ヒステリイ性の文明人。君は又男性の剛気を保ち、彼は女性の柔軟を持つ。
室生君。
 私は曾て萩原君の天稟を指して、地面に直角に立つ華奢な一本の竹であると云つた。而も君は喩へば一本の野生の栗の木である。・・・栗の木はいつしかガツシリした姿勢と粗々あらあらしい木肌とを持つた立派な一本立の木になつた。さうして愈激しい生長の慾望と愛と力とに燃え上つた。のみならず、曠原の風景が愈彼の為めに新らしくされ、野末を通る人馬も自づから彼の姿を振り返つてゆく。さうしてゴツホの燬きつくやうな太陽が東にあがり西に赤々とくるめき廻る真ん中で、この大麻栗の緑葉の渦巻に、真つ白な花穂がいくつもいくつも垂れ下つて、まるで妊娠みもちになつた綿羊の綿毛のやうに重々しく咲き盛つた。その淫蕩無比の臭気、その狂熱、その豊満、将に此の樹木の放つ動物的精液の激臭は下ゆく人をして殆ど昏倒せしめずんばやまなかつた。雨の夜などは殊更である。その弾ぢぎれるほどの淫心。而も此の栗の木を前にして、真赤なえんえんたる天鵝絨の坂があり、坂の上には丘があり、麦畠があり、麦畠には麦が穂をそろへて揺れたり光つたりする清明な小景があつた事も読者よ記憶せよ。昼はその麦の穂立の中に基督のかげが見え隠れ、夜は祈りの鐘の音が薄靄の間を縫つて静かに静かに栗の木のふところまで流れて来た。
 それから陰欝じめじめした長雨が幾日も幾日も降り続くと、花は腐れて地に落ち、栗は再び目醒めたやうに真つ青に濡れしづき乍ら、日が照りつけると、更に又、一層の鮮かさを以て輝き出したのである。
室生君。
 何と云つても此詩集は立派だ。矢張り何と云つても正しいものは正しい。之は全く人間の言葉で書かれた人間の詩だ。さうしてここに書かれた君の言葉は全く人間の滋養だ。君の甦りは勇ましい。さうして純一だ。魂は無垢だ、透明だ。おお、君は安心して君自身を世に示したがよい。さうして更に世の賞讃と愛慕とを受けたがよい。君は何と云つても私の友だ。萩原と君と。おお今こそ再び私は涙を流して君の双手を捉へる。さうして強く強くうち振る。おお、上天の恩寵よ、永久に我友の上にあれ。  千九百十七年十一月十六日
 君と畑一つ隔てて  北原白秋

抒情小曲集

抒情詩の精神には音楽が有つ微妙な恍惚と情熱とがこもつてゐて人心に囁く。よい音楽をきいたあとの何者にも経験されない優和と嘆賞との瞬間。ただちに自己を善良なる人間の特質に導くところの愛。誰もみな善い美しいものを見たときに自分もまた善くならなければならないと考へる貴重な反省。最も秀れた精神に根ざしたものは人心の内奥から涙を誘ひ洗ひ清めるのである。

いとけなかりし日のおもひでに

室生君。
 時は過ぎた。『抒情小曲集』出版の通知を受取つて、私は、今更ながら過ぎ去つた日の若い君の姿が思ひ出される。初めて会つた頃の君は寂しさうであつた、苦しさうであつた、悲しさうであつた。初めて君の詩に接した時、私はその声の清清すがすがしさに、初めて湧きいでた同じ泉の水の鮮かさと歓ばしさとを痛切に感じた。君はまた自然の儘で、稚い、それでも銀の柔毛にこげを持つた栗の若葉のやうに真純な、感傷家センチメンタリストであつた。それは強い特殊の真実と自信と正確さを持つた若葉だ。その栗の木は日を追うて完全な樹木の姿となつた。日を追うて君自身本然の愛と啼泣と情念の発露とが激しくなつた。かう云つては悪いかも知れぬが、私は『愛の詩集』よりも此の『抒情小曲集』に、より深い純正を感じ愛着を感じ、追憶の快味をも感ずる。而して君の是等の小曲を初めて発見して少からぬ驚異にうたれた既往の私自身の姿さへ思ひ出す。君も私も既に華華しかつた青春は過ぎて了つた。憶ふと今昔の感に堪へぬ。
 改めて云ふ。今度の小曲集こそ私の待ちに待つたものであつた。私は真に君の歓びを自分の歓びとして一日も早くその上梓の日を鶴首して待つ。
 願くばわが室生犀星に再び光栄あれ。   八月十四日 小田原にて 北原白秋

私にとつて限りなくなつかしく思はれるは、この集にをさめられた室生の抒情小曲である。彼の過去に発表したすべての詩篇の中で、此等の抒情詩ほど、正直ないぢらしい感情にみちてゐるものはない。それは実に透明な青味を帯びた、美しい貝のやうな詩である。そしてそのリズムは、過去に現はれた日本語の抒情詩の、どれにも発見することのできない珍しい鋭どさをもつて居る。そしてこの詩集は、北原兄の『思ひ出』以後における日本唯一の美しい抒情小曲集である。かういふ種類の芸術では、これ以上のすぐれたものを求めることは、今後とも容易にあるまいと思つてゐる。  萩原朔太郎

自序

 私は本集に輯めた詩を自分ながら初初しい作品であること、少年の日の交り気ないあどけない真心まごころをもつて書かれたこととを合せて、いくたびか感心をして朗読したりした。ほんとに此詩集にある小品な詩は、恰も『小学読本』を朗読するやうに、卒直な心で読み味つてもらへれば、たいへん心うれしく感じる。このやうな幼ない「抒情詩時代」が再び私にやつて来るものでもなく、また、それを再び求めることも出来ないことを知つてゐる。人間にはきつと此「美しい抒情詩」を愛する時代があるやうに、だれしも通る道であるやうに、ほんとにこれらの詩をあつめて置きたいと思つたのも、みなここにあるのだ。

 この本をとくに年すくない人人にも読んでもらひたい。私と同じい少年時代の悩ましい人懐こい苛苛しい情念や、美しい希望や、つみなき悪事や、限りない嘆賞や哀憐やの諸諸について、よく考へたり解つてもらひたいやうな気がする。少年時代の心は少年時代のものでなければわからない。おなじい内容は私のこれらの詩と相合してそして、初めて理解され得るやうに思ふ。みながみなで感じる悩ましさや望のぞみを追ふ心は、きつと此中でぶつかり合ふやうに思ふ。
 誰でも云ふ「少年時代こどものときは楽しかつた」と。「少年こどもは神より人間より最つと別な神聖な生物だ。」とドストイエフスキイも云つてゐる。若若しい木のやうに伸びゆく力ちからは、ほんとにあの時代に限つて横溢してゐる。頭のよい「頭のいちばん幸福な」時代だ。いちど見たり感じたりしたら、それにすぐ根が生え、植ゑ込まれる時代だ
 私はいまでも感じる。
 少年時代に感じた季節の変移うつりかはりの鋭い記臆とその感覚の敏活とは、ほんとに何にたとへて言つていいか解らない。まるで「触さはり角つの」のある虫のやうに、いつもひりひりとさとり深い魂を有つてゐるものだ。それはまだ小児こどもの時代ときの純潔や叡智がそのまま温和にふとり育つて、それが正確に保存されてゐるからである。「小児に就て人に接することを学べ小児は未だ汚されず、小児にとつては人みな同じ」とトルストイも言つてゐる。

 私は雪の深い北国に育つた。十一月初旬のしぐれは日を追うて霙となつてそして美しい雪となり山や野や街や家家を包んだ。町の人人は家家の北に面した窓や戸口を藁や蓆をもつて覆うた。
 道のふた側に積まれた雪は、屋根とおなじい高さにまでなつて、夜は窓や戸口の雪の、中から燈灯が漏れてゐた。戸外運動といふものが雪の為めに自然なくされてゐた小供の私らは、いつも室に座つたり暖炉にあたつたりして、恐ろしい吹雪の夜を送つてゐた。そのころ私は俳句をかいたりコマ絵をかいたりして、自然にたいする心をだんだんに開いてゆくやうになつてゐた。極度に人懐こい、もの恋しげな心を不断に有つてゐた私は、また一面に於ては烈しい一人ぽつちが好であつた。本をよんだり物を考へたりしたあと、よく自分で自分が作つた甘美な哀愁にひたりながら、雪あかりのする窓際で「小供らしくない」事を考へてゐた。それが私だち少年のいつも隠れてする心の隠れ家みたいに楽しく又悲しいものであつた。
 四月まで続く降雪を我慢しきれないやうに、雪の下では春の浮動するものが生き初めるころは、わけても悩ましい力ちからがからだに湧いてくるのであつた。私だち少年らは、おたがひに女の子のやうな深い情愛をかんじ合つて、かく詩や俳句の対象はいつもそれらの友に於て選んだ。美しい少年の友だちらは、ある時は、詩のことを話したりして、熱い握手や接吻をしたり、蒼い日暮の飽くことをしらない散歩をしたりしてゐた。

 私どもは、そこここの散歩や、草場のあたりでいろいろな詩をうたつた。風のやうにうたひながら自分でつい感心してしまつて、ほろりとするといふやうなこともあつた。見るものが悲しくひしひしと迫つてくるのであつた。あの何物にもたとへることの出来ない、弱弱しい美しいセンチメンタルな瞬間に、私どもは、自分が其処に生きることを幸福に考へ、また必然さうあるべきことが自分らの若い使命のやうに、この全世界でいちばん偉い詩人ででもあるやうに考へてゐた。謙譲やはにかみもなかつた。傲慢と自愛とにたえず圧倒されてゐて、それを当り前のやうに思つてゐた。それほど、世間の本をよまない仲間にたいしては遠慮がなかつた。

 私は抒情詩を愛する。わけても自分の踏み来つた郷土や、愛や感傷やを愛する。「くちばし青き小鳥」の囀りは可愛い。それを讃へたい。人間にたつた一度より外ない時代を紀念したい。それをそのまま次ぎに味ひつつある若い人人らの胸にたたみ込んで置きたいと思つてゐる。
 もとより詩のよいわるいはすききらひより外の感情で評価できないものだ。これらの詩がどれほどハアトの奥の奥に深徹してゐるかについて、今私は何もいへないけれど、人人はきつとよき微笑と親密とを心に用意して読んでくれるだらうと思ふ。むづかしい批評や議論ぬきの「優しい心」で味つてくれるだらうと思ふ。それでこそ私がこの本を世に送り出した甲斐のあることを感じるのだ。
 一月に『愛の詩集』を出してからもう一年に近くなる。『愛の詩集』まで歩んだ自分を知るにはどうしても此の「抒情詩時代」の自分をも知つてほしくおもふ。自分にもなほ美しい恋を恋したり、甘美な女性的なリズムを愛したりした時代のあつたことを物語りたいのである。ほんとはこの『抒情小曲集』は『愛の詩集』と併せて読んで、僕の心持のたてとよことに縒よれ込んだリズムをほぐして見てほしいのだ。よく読んでくれる人人は、この小曲集の終りのペエジに近づいてゆくごとに、だんだんに人間の感情がひびれたり、優しく荒れて行つたりしてゐることを考へてくれるだらう。風にいためられた生活の花と実とを今まとめて見ることを嬉しく悲しく思ふ。

千九百十八年七月十三日 郊外田端にて 室生犀星

小景異情

その一

白魚はさびしや
そのくろき瞳はなんといふ
なんといふしほらしさぞよ
そとにひる餉げをしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しば啼けり

その二

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

その三

銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり

その四

わが霊のなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
懺悔の涙せきあぐる
しづかに土を掘りいでて
ざんげの涙せきあぐる

その五

なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮しのやすらかさ
けふも母ぢやに叱られて
すもものしたに身をよせぬ

その六

あんずよ
花着け
地ぞ早やに輝やけ
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け


犀川

うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に座りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川ながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり


<宮沢賢治>

『春と修羅』


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです


永訣の朝

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ

無声慟哭

こんなにみんなにみまもられながら
おまえはまだここでくるしまなければならないのか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまえはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりでどこへ行こうとするのだ
( おら おかないふうしてらべ )
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちひさな表情も
けっして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊くのだ
( うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい けふはほんとに立派だぢゃい )
ほんたうにさうだ
髪だっていっそうくろいし
まるでこどもの苹果(りんご)の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
( それでもからだくさぇがべ )
( うんにゃ いっこう )
ほんたうにそんなことはない
かへってここはなつののはらの
ちひさな白い花の匂でいっぱいだから
ただわたしはそれをいま言へないのだ
( わたくしは修羅をあるいてゐるのだから )
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない

宮沢賢治


<三好達治>

測量船

乳母車

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花あぢさゐいろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
※(「車+隣のつくり」、第3水準1-92-48)々りんりんと私の乳母車を押せ

赤い総ふさある天鵞絨びろおどの帽子を
つめたき額ひたひにかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道




太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


甃のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音あしおと空にながれ
をりふしに瞳ひとみをあげて
翳かげりなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍いらかみどりにうるほひ
廂ひさし々に
風鐸ふうたくのすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃いしのうへ


少年

夕ぐれ
とある精舎しやうじやの門から
美しい少年が帰つてくる

暮れやすい一日いちにちに
てまりをなげ
空高くてまりをなげ
なほも遊びながら帰つてくる

閑静な街の
人も樹も色をしづめて
空は夢のやうに流れてゐる




夕暮が四方に罩こめ、青い世界地図のやうな雲が地平に垂れてゐた。草の葉ばかりに風の吹いてゐる平野の中で、彼は高い声で母を呼んでゐた。

 街ではよく彼の顔が母に肖にてゐるといつて人々がわらつた。釣針のやうに脊なかをまげて、母はどちらの方角へ、点々と、その足跡をつづけていつたのか。夕暮に浮ぶ白い道のうへを、その遠くへ彼は高い声で母を呼んでゐた。

 しづかに彼の耳に聞えてきたのは、それは谺こだまになつた彼の叫声であつたのか、または遠くで、母がその母を呼んでゐる叫声であつたのか。

 夕暮が四方に罩め、青い雲が地平に垂れてゐた。

湖水

この湖水で人が死んだのだ
それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ

葦あしと藻草もぐさの どこに死骸はかくれてしまつたのか
それを見出した合図あひづの笛はまだ鳴らない

風が吹いて 水を切る艪ろの音櫂かいの音
風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする

ああ誰かがそれを知つてゐるのか
この湖水で夜明けに人が死んだのだと

誰かがほんとに知つてゐるのか
もうこんなに夜が来てしまつたのに



鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。

そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
脊中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。



鵞鳥。――たくさんいつしよにゐるので、自分を見失はないために啼いてゐます。
蜥蜴。――どの石の上にのぼつてみても、まだ私の腹は冷めたい。



 恐怖に澄んだ、その眼をぱつちりと見ひらいたまま、もう鹿は死んでゐた。無口な、理窟ぽい青年のやうな顔をして、木挽小屋の軒で、夕暮の糠雨に霑ぬれてゐた。(その鹿を犬が噛み殺したのだ。)藍を含むだ淡墨いろの毛なみの、大腿骨のあたりの傷が、椿の花よりも紅い。ステッキのやうな脚をのばして、尻のあたりのぽつと白い毛が水を含むで、はぢらつてゐた。
 どこからか、葱の香りがひとすぢ流れてゐた。
 三椏みつまたの花が咲き、小屋の水車が大きく廻つてゐた。

<原民喜>

原爆小景

  コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス


  燃エガラ

夢ノナカデ
頭ヲナグリツケラレタノデハナク
メノマヘニオチテキタ
クラヤミノナカヲ
モガキ モガキ
ミンナ モガキナガラ
サケンデ ソトヘイデユク
シユポツ ト 音ガシテ
ザザザザ ト ヒツクリカヘリ
ヒツクリカヘツタ家ノチカク
ケムリガ紅クイロヅイテ

河岸ニニゲテキタ人間ノ
アタマノウヘニ アメガフリ
火ハムカフ岸ニ燃エサカル
ナニカイツタリ
ナニカサケンダリ
ソノクセ ヒツソリトシテ
川ノミヅハ満潮
カイモク ワケノワカラヌ
顔ツキデ 男ト女ガ
フラフラト水ヲナガメテヰル

ムクレアガツタ貌ニ
胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ
赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ
ボロキレヲスツポリカブセ
ヨチヨチアルカセテユクト
ソノ手首ハブランブラント揺レ
漫画ノ国ノ化ケモノノ
ウラメシヤアノ恰好ダガ
ハテシモナイ ハテシモナイ
苦患ノミチガヒカリカガヤク


  火ノナカデ 電柱ハ

火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ
蝋燭ノヤウニ
モエアガリ トロケ
赤イ一ツノ蕊ノヤウニ
ムカフ岸ノ火ノナカデ
ケサカラ ツギツギニ
ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ
サケンデユク 火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ

日ノ暮レチカク

日ノ暮レチカク
眼ノ細イ ニンゲンノカホ
ズラリト河岸ニ ウヅクマリ
細イ細イ イキヲツキ
ソノスグ足モトノ水ニハ
コドモノ死ンダ頭ガノゾキ
カハリハテタ スガタノ細イ眼ニ
翳ツテユク 陽ノイロ
シヅカニ オソロシク
トリツクスベモナク


  真夏ノ夜ノ河原ノミヅガ

真夏ノ夜ノ
河原ノミヅガ
血ニ染メラレテ ミチアフレ
声ノカギリヲ
チカラノアリツタケヲ
オ母サン オカアサン
断末魔ノカミツク声
ソノ声ガ
コチラノ堤ヲノボラウトシテ
ムカフノ岸ニ ニゲウセテユキ


  ギラギラノ破片ヤ

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストケムル電線ノニホヒ


  焼ケタ樹木ハ

焼ケタ樹木ハ マダ
マダ痙攣ノアトヲトドメ
空ヲ ヒツカカウトシテヰル
アノ日 トツゼン
空ニ マヒアガツタ
竜巻ノナカノ火箭
ミドリイロノ空ニ樹ハトビチツタ
ヨドホシ 街ハモエテヰタガ
河岸ノ樹モキラキラ
火ノ玉ヲカカゲテヰタ


  水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ

永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ

 伊東静雄

 わがひとに与ふる哀歌

太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内うちの
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は恒つねに変らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讚歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の発明の
何にならう
如かない 人気ひとけない山に上のぼり
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに


 小川未明

詩のの精神は移動す

物が新しくそこに生れるという事は、古い形が破壊されたということを意味するに他ならない。単に破壊というと不自然のように感ずるけれども、創造というと、人々には美わしい事実のように思われる。若しも古いものが其のまゝ形を変えたものであったなら、それは創造ではないだろう。
 即ち存在の意義を別個のものとして、新しく生れるということに於て、創造は私たちに歓喜をよびおこす。
 詩はついに、社会革命の興る以前に先駆となって、民衆の霊魂を表白している。例えばこれが労働者の唄う歌にしろ、或は革命の歌にしろ、文字となってまず先きに現われるということは事実である。そして、芸術の形をつくるのである。それは最も感激的に、短い言葉である。魂の赤裸々な叫びを見せている。それが詩である。
 いまこゝに、どんなに快い調子が繰り返されていても、如何にそれがある優しみの感じを人の心に与えても、その中に含まれている思想が依然として在来のものであったなら、私はそれを求むるところの詩という事が出来ない。極端に言えば、旧文化に安住している人々には、又その時代の感情に陶酔し、享楽している人々には、ほんとうの意味の詩はない筈である。
 子守唄は子供を寝かしつけるための歌であり、又舟乗りの唄は、舟をこぐ苦労を忘れるための歌であり、糸とりの唄はたゞその唄う歌の節に少女自からを涙ぐましむることによって自らを感傷的な気持にすれば足りるというであろう。そういうような単純な目的のために唄われるものであるなら、その目的を達すればそれでいいのである。在来のこの種の歌の中で、身の不運を嘆いたり、生のたよりなさを訴たりする者があっても、それは単純なリリシズムの繰り返しにしか過ぎなかった。そしてそれによって、その時代をうかがう事が出来ても、それらの詩には、それ以外の目的を見出すことが出来ない。それは何んの為かというに、それらの人々が、その時代に安住しておったからである。もっと適切に言ったなら、安住の世界を、その時代の生活は、それを肯定として、趣味の上に求めるより外になかったからである。所謂いわゆる牧歌的のものはそれでいい。それらには野趣があるし、又粗野な、時代に煩わされない本能や感情が現われているからそれでいいけれど、所謂その時代の上品な詩歌や、芸術というものは、今から見ると、別に深い生活に対する批評や考案があったものとも思われないものが多い。それは詩歌のみならず、凡ての芸術はいつの時代にもその時代の文化の、擁護を以て任じて来たからである。現在に於いても、大凡の芸術は、これまでの文化の擁護と見做されていると見るのが至当であろう。
 然し敢て言うが、これらは私の求むるところの詩ではない。私達の詩は疑から始まっている。今迄の詩が休息の状態、若しくは、静息の状態に足を佇めているものとしたら今日の詩は疑と激動の中から生れてくる。然しこうした詩の徴候は或は現在の生活に限られている現象であるかも知れない。しかし、芸術は其の時代の霊魂である。鏡である。詩は其の時代の生活の焔であるからだ。私たち今日の凡ての努力、それは精神運動の上に於ても、また社会運動の上に於ても、少しく心あり、覚醒する者ならば、先ず何物かを形の上に心の上に求めつゝある事は事実であろう。即ち皆んなは新しき世界を新しき生活を求めている。その世界は生れなければならない心の中に又形の上に、生まれなければならない。然し私達が創造を考えるとき、破壊を考えずにいられようか。
 人生の進歩というものは徐々として、時に破壊と建設の姿をとる場合もあるけれど又急速に飛躍して、其れを達しようとする場合もある。今私達の気持はどの点においても慌あわただしさを感じている事は事実だ。最も敏感である詩人に、この気持が分らない筈がない。また、詩に現われない筈がない。
 前にも云ったように、幾度快よいリズムをくりかえしても、如何に柔かな感じや、快よい気分をそゝろうとしても、既に覚醒きっている心の人には、何らの新しいものとなっては響かない。たゞ単的に古い文化を破壊し、来るべき新文化の曙光を暗示するもののみが、最も新鮮なる詩となって感ぜられる。
 私たちが少くとも生活に対して愛を感じている人達が、何か感激を感ずる場合には、いつでも其の中には詩が含まれている。
 詩は文字の上のみに現われると限っていないけれど、文字の上に書かれた詩に、またこの感激がなくてはならない。私達が今日子守唄をつくるにせよ、舟唄をつくるにせよ、また糸とり歌をつくるにせよ、それが在来のものと同じでいいだろうか、新時代の光を浴びようとしつつある、また浴びなければならないそれらの子供に対し、労働者に対し、少女に対して与えるものは、今迄のそれでいいだろうか、今日の詩人はもっと詩の王国が移動したことに対して覚醒しなければならない。


 高見順 

 死の淵より

帰る旅

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器めいきのような副葬品を

大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである


<高村光太郎>


 啄木と賢治

○岩手県というところは一般の人が考えている以上にすばらしい地方だということが、来て住んでみるとだんだんよく分ってきました。此の地方の人の性格は多く誠実で、何だか大きな山のような感じがします。為ることはのろいようですが、しかし確かです。天然の産物にも恵まれていて、今にこれがみんな世の中に利用されるようになったら、岩手県は日本の宝の蔵になるでしょう。
○人物にも時々たいへんすぐれた人が出ています。文芸方面でいえば、石川啄木、宮澤賢治などという詩人が出たことは、もう皆さんも知っていることでしょう。啄木の歌や、賢治の詩は学校の教科書にものっていたと思います。「雨ニモマケズ」という賢治の詩などは、思いがけぬほど多くの人に暗記されています。
○石川啄木は明治十八年に生れてたった二十七歳で死んだ詩人ですが、死んだ後になってますます世の中の人に其の詩や歌や小説を読まれ、終戦後にも時代の考え方に大きな力を与え、たいへん一般の人に好かれ、今では啄木を主人公にした映画がいくつも競争で作られるほどになりました。
○啄木は岩手県岩手郡の玉山村という小さな村に生れ、隣の渋民村の学校で勉強しました。少年の頃から大いに勉強して、十八歳頃から長い詩を書き、二十歳の時一冊の詩集を出した位ですが、それからの七年間東京に出たり、北海道へ行ったり、生活の為にずいぶん苦しみ通して、社会と個人生活との関係について深く考え、ついに世の中にさきがけて社会主義と自由思想との真理をつかみました。歌の多くはそういう思想から自然と出て来る切ないほどの思いに満たされていて、それをよむと誰でも、本当だなあ、と感ぜずにいられないほど身にしみる力を持っています。日本古来の不自由な和歌というものを啄木はまるで新らしい自由なものにしてしまいました。

働けど働けどわが暮しらくにならざりじつと手を見る
やはらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

などという歌でも、よんでいるといつのまにか強く心が動かされてくるでしょう。
○もう一人の大詩人宮澤賢治は稗貫郡花巻町に明治二十九年に生れ、この人もたった三十八歳で死にましたが、その為しとげた仕事の立派さは驚くばかりです。此の詩人の詩や童話は実にたくさんあり、どれをよんでみても心が清められ、高められ、美しくされないものはありません。非常に宗教心にあつく、法華経ほけきょうを信仰して、まるで菩薩ぼさつさまのような生活をおくっていました。仏さまといってもいい程です。自分をすてて人の為に尽し、殊に貧しい農夫の為になる事を一所懸命に実際にやりました。詩人であるばかりでなく農業化学や地質学等の科学者でもあり、酸性土壌改良の炭酸カルシュームを掘り出したり、世の中にひろめたりしました。皆さんの知っている「雨ニモマケズ」の詩は病気でねている時に書いたのですが、今日でも多くの人に救と力とを与えています。「風の又三郎」を映画で見た事がありますか。あの童話も宮澤賢治の作ったものです。此詩人は全く世界的な大詩人といっていいでしょう。
○啄木といい、賢治といい、皆誠実な、うその無い、つきつめた性格の人でした。

 峠三吉

 原爆詩集

――一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ


八月六日


あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿のうしょうを踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏いかだへ這はいより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光かこうの中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠へいきしょうの床の糞尿ふんにょうのうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭いしゅうのよどんだなかで
金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんかが
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!

森繁久弥

想い出

なぜに想い出を
残すのだ
  喜びもすぎた
  哀しみもすぎた
  苦しみも ひそかな
  ひめごともみんな過ぎた
それをもう一度
そばに呼ぶのかい
なぜに想い出を
残すのだ  
  生きるものは みな
  哀しい
  悲しい 悲しい