八戸大祭19

2019.8.4 青森県八戸市にて
八戸は海からのヤマセとよばれる冷たい風が吹き、何度となく飢饉に襲われてきた。そんな八戸で生きる人々が活路を見出したのが海・・・小さな漁港は戦後の埋め立て工事で大規模な漁港へ。北東北一の臨海工業都市へと成長した。八戸発展の象徴が絢爛豪華な八戸三社大祭の山車である。背景に厳しい風土をたくましく生きぬいてきた人々の歴史がある。毎年7月31日から8月4日まで開催される、青森を代表する祭りの一つ。 高さ10mにも及ぶ27台の豪華絢爛な山車が八戸市中心街を練り歩き、沿道は大きな歓声に包まれる。2016年12月、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録された。
<八戸三社大祭の始まり>享保5年(1720)、凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができた。その御礼として、八戸藩の許可のもと、武士や町人から寄進を募って神輿を建造し、享保6年(1721)、長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが、八戸三社大祭の始まりと言われている。八戸藩の有力な商人が買い入れた人形を載せて担いだ「屋台」や「虎舞」など、町民で編成した行列が参加するようになり、まちの安泰や豊作を祈願する大規模祭礼として発展していった。
それまで同じ人形を屋台に載せるスタイルから、毎年新しく作った山車を運行する形へと変化し、現在の祭りの原型となりました。現在の八戸三社大祭は、行列の運行経路や参加する民俗芸能など伝統を保ちつつも、民話や歌舞伎などを題材として製作された27台の山車が祭りの余興「附祭」(つけまつり)として参加し、祭りをより華やかで迫力のあるものにし見る人に驚きと感動を与えている。

2016年の大祭